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意識はいつから生じるのでしょうか

好きとか、嫌いとか、恋とか"意識"はいつから生じるのかなあ。と考えました。

「ぼく」
ぼくは尋ねる。
ぼくは意識を持っているのか。
ぼく。
ぼくは答える。
この意識が、いつ生じたか、これから生じるものなのか、ぼくに分かることはまだまだ少ない。

大好きな「屍者の帝国」に出てくる印象的な言葉。

この記事では、意識の対象を「恋」だとする。
※屍者の帝国では違う対象だよ。

君には好きな人がいるだろうか。
その好きな人のこと、いつから「意識」していた?

「好きな人」というのはある日突然現れるのではなく、仲の良い友人や、クラスメイトや、同僚の中から、その先のもう一段階向こうの意識になった瞬間に「好きな人=恋」が生じる。

では、この「恋の意識」とはいつ生じるのでしょうか。
我々生き物は意識のパラメーターというものはもちろん持ち合わせてはいない、しかし確かに意識の変化を感じる瞬間がある。
私の考えでは、意識というものはいくつかの行動上にあり、また、いくつかの感情や出来事において感じる。
それでは、我々が思う「恋」とは、何をもってして感じるのだろうか。

今まで好きになった人を思い浮かべると、特に共通点はない。
(しいて言うなら一重が好みっぽい)
もちろん個々に性格は全く違うし「ここが好き」という箇所も全く違う。

君の好きな人はどうだろうか?
性格や行動、共通点はある?

私において「恋」の意識は
おそらく、自分の、現状足りないものを補える人だと認識した際に生じる。

例えば、毎日めまぐるしく忙しい日々を送っていたとしよう。
そういう時には話し方がゆっくりな人を好きになる。
これは、その人と話すことで、時間の流れを少しでも穏やかにしたいと無意識に感じているからだ。

例えば、毎日つらく暗く落ち込んでばかりの日々を送っていたとしよう。
そういう時には、うるさいくらいに構ってくれる人を好きになる。
これは、その人の明るさで自分の心も照らしてほしいと感じるからなのだと思う。

その逆もあり、自分が充実して毎日何の不自由も迷惑も落ち込む理由がない時。
そんな時は、少し暗い人を好きになる。
私が、その人を引っ張りあげたいと感じるからなのだと思う。

男女意識がなく、ただの人間として出会ったとして、自分に足りないものを相手に感じた時、相手を欲して、自分を補いたいと意識が生じて、恋をする。

そして、補う事に満足をしたら、私の恋は終わる。

だからこそ、今、恋をしていない。

これは自分の現状に満足しているからなのか
それとも、私の不足を無意識に感じさせてくれる人がいないのか。

愛は恋とはまた別のお話だけどね。

君の恋の意識はどう生じる?

そうやって色々君も恋に対する意識の生じ方を考えてみたら、今つらいと思っているそれは、思い込みの恋かもしれないよ。

わたしも、恋の意識を考えるまでは「もう恋なんてしない!」って終わり方ばかりだった。

だけど、愛と恋は違うし、じゃあ恋って何の為のものなのかを考えてみたら、私は私を補う為の行動であり行為なのだと気づいて

つらい恋はなくなった。

君の恋はさ、何の為なのだとおもう?


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