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よるのわたしは嘘つきなのよ。

あんなに死にたいって思っていたじゃないか。私よ。
なのにまた、朝を迎えにいってしまって。どうして泣いていたら朝がきてしまうのだろうね。

死にたいと何度も深夜にベランダに出て、ただただ怖いと思う、真っ暗闇を見下ろして。そこに涙を落としていけばいつの間にか朝が透けてくる。迎えたくない、あさ。繰り返したくない、わたしの人生。なんど言い聞かせたら分かるのだろうね、この子は。死ぬことがこわいのでしょうか。
いいや、朝をむかえるのがこわいのです。朝をむかえるのが怖くて、足がすくんで、目の前が涙で見えなくなって、そうして踠いているうちに、きてしまうのです。朝が。また嘘つきになって、死にたいと思う私は、1日を過ごす。何事もなかったかのように。夜をわすれて。

そしたらまた、夜がきて、ひとりさみしくここにいるのです。ひとりでいたいわけじゃない、できることならば、だれかといたいのですが、きっと私は分かり合えない。そう、おもいます。拒絶したいです、にんげんを。私は私がきらいです。生きることにつかれて、毎日こそこそ泣いて、つまらない人生を送る自分に価値を見いだせやしないのです。だから、分かり合えなくてもいいのよ。誰かのものさしではかられた私の才能を自信を価値を孤独を押しつけてもらうのはつかれます。ただただ、なにも聞かずそばにいてくれる人ならば、わたしは迎え入れたい。はげますことをやめてくれた、人間を。

よるはきらいです。うそつきになるから。
好きでもない人を、すきとかんちがいします。結局孤独はこわいから。よわい人間ね。どうしてそんなに対峙できないの。なにがこわいの。朝がこわい。
また繰り返される人生が、あれほどダメだといったのに。世界は自分だけのためにまわっているのではないと、習ったのに、すっかりわすれて、世界は私が中心だ。って、また、こどくを恐れて好きになるのよね。

これを書いている間も、なんどもここに涙を落としています。死にたいです。もう、何も見いだせません。人生に。生きていてなにになるのでしょう。ただ息をして、歩いて、人に感情をぶつけて、なにになるのよ。
だけど、わたしはうそつきです。きっと、この夜も通り過ぎて朝をむかえるのでしょう。
朝がこわいと、足がすくんでなにもできないのよ。夜はみかたです。夜だけは、あさを受け入れろとわたしの背中をずっとなでてくれる。朝がこわいと泣くわたしに。やさしい夜。

きっとあさになれば、わたしを愛しいとおもうあなたも、あなたを愛おしいとおもう私もいなくなるのよ。よるはうそつきだから。
孤独にまけたひとりはきょうもこうして寄り添うのよね。にんげんはきらい。だけどここはすきよ。一方的な感情がゆるされるから。やさしいよる。
だから、よるだけは、ずっと、わたしのことを好きでいてほしい。嘘つきなわたしを見捨てないで、いっしょに、あさを迎えてよ。愛しい夜


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