「少年が来る」ハン・ガン著

2019年に読んだ本の中で1番印象に残った本。いや、もしかしたら、ここ数年読んだ本の中で1番かもしれない。それほど自分の中に何かが残った本だった。

この本を知ったきっかけは斎藤真理子さんの「現代韓国文学入門」。そこで、斎藤さんはこの小説の読後感を「経験したことのないスポーツをやっているような経験」と表現しており、また、著者のハン・ガンさんが、イギリスの文学賞、ブッカー賞受賞作の「菜食主義者」よりもこれを読んでほしいと、これだけは多くの人に読んでもらいたいと話していたとの紹介があった。

本を読んだ後、私も、かたちのない、けれど重みのあるずしんとした何かを受け取ったような気がして、ただそれがなんなのか、なかなか言葉にできないでいる。

1980年5月18日~27日、民主化を求める学生たちのデモを戒厳軍が過剰に鎮圧し、多くの死者を出した光州事件。その光州事件でなにが起きたのか、いのちを失った後の肉体と魂はどうなるのかが、とても繊細に、生々しく描かれている。民主化運動を「善きもの」として行動した人たちが、命を落とし、朽ちていくさま、体を傷つけられて、こころも傷んでいくさまが、そして残されたものたちがどう生きたのかが、克明に記されていて、読んでいて胸に迫ってくる。

光州事件は最近でも「光州5.18」「タクシー運転手」など、映画になっていたり、KPOP人気グループBTSの歌の中にも取り上げられていたり、痛みを伴いながら、ずっと語り継がれている。

民主化運動の象徴とされる光州事件。韓国で、たびたび繰り返されるのが、「こんな世の中にするために光州の人たちは死んだのか」という文言であるらしく、「光州は1つの装置。どう扱うかが常に問われ、監視される」と斎藤さんは言う。

日本で置き換えるとするなら、光州事件は何になるのだろうか。私たちはその痛みを今も記憶しているだろうか。その痛みを繰り返すまいと、今の日本をしっかり監視できているだろうか。ふとそんなことを思った。


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