こびとが打ち上げた小さなボール

また韓国文学に衝撃を受ける。

12編のこびと連作から成るこの本は、「非常戒厳令と緊急措置がわが者顔で君臨し、誰かが自由とか民主主義とか口にしただけで捕えられ、恐ろしい拷問を受け、投獄される維新憲法の下で」「必ずや破壊に耐えて生き延び、温かい愛情と血のにじむ苦痛の物語を読者に伝えるものであってほしい」と願い、ひとつひとつ小さなペンで小さなノートに、書き記されたものたち。

70年代のソウル。スラムの撤去、工場労働の現場において、「蹴散らされた人々」とその周りの物語。その物語の中には蹴散らした方の物語も入っている。その家族たちも。そして、その狭間で動けなくなっている人たちの物語も。

蹴散らされた人々の中に、「こびと」「せむし」「いざり」がいる。もっともっと何百年も前から蹴散らされてきた人たち。こびとには家族がいる。こびとはおとうさんだ。小さいけれど小さくない。ここで描かれるこびとのおとうさんは、小さくない。

70年代といえば私が産まれた年代だ。そして、物語の中で彼らが住まいを追われ、代わりに入居権を得たけれど、そこに住み続けるだけの経済力はなく、ブローカーに入居権を売り渡した場所は、今ソウルで人気のある、そして私もよく行く江南、ロッテワールドのある蚕室だった。40年後の今も、開発はうまく進み、今も変わらず土地の売買は続いている。

この本にハン・ガン著「少年が来る」以来の衝撃を受けたのだけれど、それは小説だからこそ感じられる部分の大きさに感じ入ったというか、それこそ著者と翻訳家の力をものすごく感じた作品だと思う。

というのも、光州事件と70年代ソウルの開発の中で起こる様々なできごとについて、このテーマでドキュメンタリーを観たり、ルポを読んでも、きっとこんな風には深く感じ取れないのではないかと思うから。生の声、実際の映像、事実を追った時、自分の中の想像力を駆使して、自分の体験と照らし合わせて、イメージする以上のことを、物語は伝えてくれる。それが小説の力なのだと思う。その力を「少年が来る」も「こびとが打ち上げた小さなボール」も私にたくさん見せてくれた。事実の先にあるたくさんのエピソードを読んで、その時代のソウルに暮らす人たちに思いを寄せることができた。

多くの韓国文学がそうであるように、この物語もハッピーエンドでは終わらない。この物語は、たぶんまだ終わっていない。だから、今も韓国で読み継がれているのだと思う。

70年代に開発によって蹴散らされた人たちがいて、80年代に光州事件、民主化運動が起こり、90年代にIMFがあり、00年代にセウォル号事件がある。

作者のチョ・セヒさんは1990年から光州事件をテーマとした長編小説「白いチョゴリ」を書いており、まだ未完だという。こちらの小説もぜひ読みたいと思う。

そして舞台を日本に移してふと思う。日本には蹴散らされた人はいなかったか。高度経済成長期の開発、バブル、バブル崩壊、東日本大震災、福島原発問題、きっとそこにも悲しみの物語がある。私はまだ日本の悲しみの物語にたどりつけていない。チョ・セヒさんはこの本について「この悲しみの物語がいつか読まれなくなることを願う」と帯に残しているけれど、私はその前にまず日本の悲しみの物語にたどりつきたい。

この本は1978年刊行され、2016年に斎藤真理子さん訳のこの日本語訳が出るまでに300刷に迫り、総販売数は約130万部なのだという。それだけたくさんの韓国の人がこの物語を読んでいる。それは悲しいことでもあるけれど、すこしうらやましい気さえする。

それから、40年近くたって今、日本語訳が斎藤真理子さんによって出ることになり、それが読めて本当によかったと思う。日本でもたくさんの人が読んで、ロングセラーになったらいいなと思う。


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