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親のこと、自分のこと、最近考えること

ウープロwalker第5号。
大学生の創楽さんからバトンを受け取りました、大学生の娘がいるriekoです。

あることがきっかけで考えておかなきゃなあと思うようになったことについて書きます。
何か…それは『人生のしまい方』。 

きっかけ

私が現在住んでいる県は母の出身県でもあり、親戚も何人かいます。
わが家から片道30分、私と同い年のいとこ(母の兄の娘)が喫茶店を営んでいて、仕事でそちらの方へ出向いた時は立ち寄らせてもらいます。
自家製無農薬野菜をふんだんに取り入れたボリューム満点のランチが食べられるサービス満点の喫茶店です。

先日、近くに行く用事があり、閉店近くでしたが立ち寄りました。
おじさんといとこが笑顔で迎えてくれ、いとこがオーダーを取りに来ました。
ホットコーヒーを頼み、少し話をしていると、おばさんが裏口から入ってきました。
ジーッと私の顔を見ているのですが、いつもの「りえちゃん」という言葉が出てこない・・・。
娘(いとこ)と話をしているこの人は誰だろう?という顔をしているように見えました。
「なんか変だよ〜?」、「まさか」という違和感を感じました。

調理場でいとことおばさんが話をしています。
「名古屋の?名古屋の?」とおばさんの声が聞こえます。私のことを話しているのでしょう。
「ちょっと待って。生まれ育ったのは名古屋だよ。でも、もう20年以上こっちにいるよ・・・」心の中で叫んでました。
二人のやり取りを聞き、そう思いたくなかったのですが、確信へ変わりつつありました。これは認知症が始まっているのでは?と

『私』がおばさんの中で『名古屋のりえちゃん』とわかったところで、話に来てくれたのだと思います。
「お母さん、元気?」「元気ですよ。なかなか帰れないけど。」
 ※ちょうどココさん(🐰)がお月様へ帰った日の昼間、実家へ行きましたが、仏壇の妹に手を合わせただけです。
そのあとの会話もなるべく普通に話しました。その方が良い気がしたのです。
帰り際、いとこにもおじさんにも「おばさんって」とは聞けませんでした。

直面した時よりも後からじんわりショックが大きくなっていきました。

実家へ帰省

通常、母とはLINEでやり取りしています。
でも、おばさんのことは会って話した方が良いと思い、数日後年休取得して実家へ帰りました。
前回の帰省から約1ヶ月のことです。

ランチをしながら、両親に喫茶店での出来事を話しました。
母の胸の内はわかりませんが、「だんだんそうなっていくね」と言いました。
きっと私が帰った後、いつものように父と二人でああでもないこうでもないと話をするのだろうなと思いました。
近所の老人会やボランティア活動をしている人たちと色々情報交換しているのは相変わらずで、そこは安心しました。

今は両親とも元気なのが幸い、コロナの規制が緩和されていく?これからは時間を作って様子を見に行きたいと思いました。

人生のしまい方

そんなこんなで、今、両親にも書いてもらいたいし、自分も書くつもりなのがエンディングノート。
(書くつもりでなく、「書きます宣言」しなきゃ!ですね。)
離れて暮らしている両親に何かあったら。
私は20年前に一人っ子になってしまっています。
エンディングノートに書いてあることで、残された人が慌てず困らずにことを進めることができるのかなと思います。

介護に詳しいキャリコン仲間の人におすすめを聞きました。
これでどれに書けばよいかの情報はゲット、実践あるのみ。

昔からなぜか最後は縁側で日向ぼっこをしながらポックリいきたいと思っていましたが、そうでなくてもいいのかなとココさん(🐰)を月へ返して最近は思うようになりました。

人生『まさか』ということはあり得るので(妹がそうでした。)、『まさか』に備えたいんだと思います。
(昔、自分がいた会社のCMソングが流れる~まさかのための○○○○)

とりとめのないことを長々と書きました。

次はキタピョンさんにバトンを繋げるピョン!
楽しみだビョン!🐰🐰🐰


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