人から貼られたレッテルを剥がしてしまっても別に罪ではないと思いたい/その1

小さい頃、私は母に、「がんばり屋さん」だと言われていました。

小学校一年生の冬休み、図鑑で見た、チューリップ畑の真ん中に風車がある、オランダの風景のようなものを作りたいと言ったらしいです。(自分のことですが覚えていないので、「らしい」)

厚紙、割り箸、タコ糸で風車を作り、薄いスポンジに緑のクレヨンで色を塗った地面の真ん中に建てました。

たくさんのチューリップは、爪楊枝に折り紙を小さく切って、巻き付けたり、貼り付けたり。
一本作る所要時間や、結局何本作ったかは覚えていませんが、何日もその作業を繰り返していた記憶はいまだにあります。

今風に言えば、「ゾーンに入っていた」んだと思います。大変だった、辛かった、という感じではなく、楽しかった、誇らしかったです。

緑の地面が少しずつ確実に埋まっていく。
時間はかかっても、自分が作れば、チューリップは確実に増えていく。
刺すところがだんだんなくなっていく。

そうしてできたオランダの風景は、休み明け、学校で飾られたときに、通っていた幼稚園の先生も見に来てくださり、「りえちゃんらしいね」と褒めてくれました。

持ち帰ってきてからは、母の実家に何年も飾られていました。

それを見る度に、「あれを作れた私、すごい」と思えていました。
「私、がんばり屋さんなんだ!」

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小学校四年生のとき、私はようやく逆上がりができるようになりました。

運動が大嫌いで、体育の授業も苦痛で仕方なかったのですが、先生や友達が一生懸命教えてくれるので、学校の休み時間や、放課後近所の公園で、何度も何度もトライしました。

手にマメができては破れ、足の付け根に青アザができ、力み過ぎか鼻血が出たりしながら、来る日も来る日も練習しました。

「できっこない」と思っていました。
「できなくても別にいいや」とも思っていました。
それは後ろ向きな気持ちや、ヤケを起こしているわけではなく、逆上がりの練習が楽しかったからです。

逆上がりができたのは、ある日の昼休み、学校の校庭で。
何か大きなキッカケがあったわけではなく、突然できてしまいました。
私に逆上がりを教えてくれていた友達が、私よりも喜んで、先生に報告しに行ってくれました。

それからは調子に乗って、毎日鉄棒で遊びました。調子に乗りすぎて、落ちて右鎖骨を骨折したこともあります。

私の母は人生で一度も逆上がりできたことがないそうです。
「もう私の教えることは何もない…」と、まあ、冗談ですが、そんなふうに言ってくれました。

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運動への苦手意識が払拭されたことがもうひとつあります。
小学校六年生の夏休み明けに転校しました。
転校した学校は、転校する前の学校の4分の1に届かないくらいの児童数で、学年1クラスずつ。
そのため、行事には、代表メンバーが選ばれて参加していた前の学校と違い、何もかも得意不得意問わず全員参加です。

秋に、町内陸上記録会があり、それに向けて何かしらの競技に出なければならないことになりました。

出番が短く済むという理由で、はじめは短距離に挑戦してみましたが、50m10秒切る事すらできない鈍臭さです。
先生からは、800m走を勧められました。

呼吸法やフォームについてアドバイスを受け、少し変えるだけで、タイムはどんどん縮みました。
成果がわかりやすく、それまで真面目に走ったことがなかったけれど、案外楽しいかも知れないと思い始めました。

いざ本番。
そのときは知らなかった言葉ですが、「ランナーズハイ」になったのかも知れません。
一周200mのトラックを4周するのですが、途中で何周目かわからなくなってしまいました。

自分と、それ以外の選手の集団が、離れすぎていて、自分がものすごく遅れているのか、ダントツトップなのか…結果的には後者で、ラストスパートをかけないまま、「終わりだぞ!止まれ!」と先生に言われてゴールに気付く始末。

運動嫌いの自分が、走ることで一位になるなんて、そんなことあるんだ、と思いました。

母は、私が運動嫌いなことを怒ったり責めたりしたことはなく、「お母さんも運動音痴だからしょうがないんだ」とよく言っていたので、運動が嫌いなことをすっかり正当化、デフォルト化して、自己暗示にかかっていたのかもしれません。

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私の「がんばり屋さん」な面は、本当によく人から褒められました。

この記事の、長いタイトルの中の「レッテル」のひとつが、この「がんばり屋さん」です。
次回はこれを、剥がしてしまおうと思います。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

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