求めよさらば与えられん 24.05.26
母の事なのですが、最近耳が遠くなり毎週通っている自治体主催の体操で周囲の人の会話が聞き取れないから、テレビか何かで見た補聴器のような使い方ができるヘッドフォンが欲しいということでした。
調べてみたら骨伝導の集音機のようで、老人性の難聴にはあまり効果がないという記事を見たのでちゃんとした補聴器を作った方がいいのではないかと言ったのですが、補聴器は高いからとりあえずこれを試してみたいと聞きません。
補聴器は、高齢者施設で使ってる人はいましたが、耳元で大声で怒鳴ってようやく聞こえるかなというレベルの方で、装着すると確かに聞こえるらしいのですが、雑音もひどく電池もすぐに消耗しあまり実用的なものではありませんでした。母はたまに聞き取りにくい時はありながら日常会話にはとりあえず支障なく、しかしもともとおしゃべりが好きな人なので、大勢の中での会話に入れないのが嫌だったようでした。
あまりにもしつこかったのでやれやれと調べてみたら、こちらがヒットしました。
レビューを見ると、母程度の難聴の方には効果があったようなので思い切って購入しましたが、結果的に大変よく聞こえると母はものすごく喜んでくれました。もしだめでも自分のヘッドフォンとして使おうと思ってましたが、良い買い物になってホッとしました。
母は自分の欲望や必要に忠実な人で、そこはよほどのことでない限り曲げませんししつこいです。そこで犠牲になるのは主に私なのですが、見習うべきところもあるかもしれないと思います。
タイトルは新約聖書の言葉ですが、口語訳ではもうちょっと柔らかいです。
マタイ書7章7節とルカ書11章9節にありますが、ルカ書にはその前に、「友人が夜中に急な客が来たからパンを貸してくれと訪ねてきて、めんどくさいからできないと言ってもしつこく言ってくるなら、友達だからというよりそのしつこさで必要なものを与えるでしょう」(ルカ書11章5~8節を要約)、という前置きがあります。
たしかに、私は母の要求には親孝行だからというよりは、あまりのしつこさにめんどくせえなと思いながら応えることが多く、そのたびにこの話を思い出すのです。
たしかにしつこくてうるさい人の言うことは、はよ黙れという思いを込めてつい聞いちゃうわと。
だから、自分も本当に欲しいものはちゃんと主張してゆかなきゃなあと思うのです。黙ってたら聞いてもらえないのは、介護施設での経験から明らかです。あまりに理不尽なのも聞いてもらえないけど。
だから、本当に必要な事は手を変え品を変え、自分でやれることはすべてやりつくしたうえで主張し続けていくべきだと。
簡単に諦めずに求め続けてゆくと、そうしてると必ず手に入るものだと。
私の場合はそこまでしてほしいものというのは何だろうなと考えるんですが、とにかく生活の安心安定安全です。家で楽しく仕事しつつ何の心配もなく生活し、全ての義務を果たし家族を守れるようになることです。
その為に今頑張っているつもりですし、そうしているときっと必要な道も示されると思います。
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