吉本超合金Fの最終回に映り込んだ話

もう20年ほど前の話になりますが、現在もテレビなどで活躍されてるお笑い芸人のFUJIWARAさんのやっていた番組で「吉本超合金」というものがありました。
「吉本超合金」はテレビ大阪と吉本の制作、2丁拳銃さんとFUJIWARAさんがメインの体当たり系バラエティで、今となってはまずできない、見ていた人には今も語り継がれる伝説の番組です。他の地方でも放映されたところもあるそうですが、大体は関西メインで、テレビ大阪の映らないうちの方でもなぜか放映されていました。しかしそれはリニューアル版の「吉本超合金F」からのようで、FになってからはFUJIWARAさんだけがメインの形になりゲストでいろんな芸人さんが登場しています。
びわ湖放送はテレビ東京の系列ではなかった事も今更知りましたが、たまに西武戦など中継してたのでテレビ埼玉系列かもしれないです。

それはさておきこの吉本超合金Fですが、Wikiに詳しく書かれていますが、最終回は二週に渡って滋賀の守山から大阪天王寺にあったフェスティバルゲートまでコンビで交代で走りぬくというマラソン企画でした。
JR守山駅は京都からなら上りで30分くらいの滋賀県南部に位置します。
なぜ守山からスタートだったのかはよく分かりませんが、ナビを務めていたのがこの守山市出身の野性爆弾のお二人だったので、持ち込みの企画だったのかもしれません。あるいはテレビ大阪系以外で放映されていた地方だったからかもしれませんね。

今回は当時夕方から仕事に出ていた私が、自転車での移動中にこのロケに遭遇して、番組内に映りこんでちゃんと放映されてしまったという切ない話です。
なぜ切ない話なのかは、ここはひとつ読んでみてください。

時間は午後4時ごろ、信号待ちしていたらそのロケはやってきました。
その時はフジモンが走っており、横づけの車に相方の原西さん及び撮影クルーが乗っていたようでしたが、他に歩行者や自転車もほぼおらず、白昼堂々とお笑い芸人さんが走っているというのに平和に粛々とそれは通過していきました。
それがFUJIWARAだと気が付いたのは私と信号待ちが一緒だったもう一人の見知らぬ女性と二人だけで、「FUJIWARAや!超合金や!!」と手を取り合って大興奮でした。今思えば滋賀で超合金を見ていた貴重な人材だったので友達になっておくべきでしたが、その方とはそこで別れ私は出勤せねばなりませんでした。
しかし私は気が付きました、ロケの一行が向かったのは私の職場の方向であることを。
このままいけば確実に追いつきますし、ほかに抜け道もありません。
やむを得ず意を決してカメラに映る覚悟をして、フジモンの横を通り過ぎました。
その時何も言わないのもどうかと思っておそるおそる「頑張ってください」と声をかけました。滋賀県にはFUJIWARA知ってる人がいないって思われても嫌でしたし。
そしてそこは芸人さんでちゃんと「うしろ乗せて」という半分本気っぽい返しをしてくれましたがあいにくその自転車には後部の荷台がありませんでした。もし荷台があったら乗せる羽目になっていたのだろうかと今となっては思います。

そしてロケ一行は確実に私と同じ方向に向かうと思われたので、次に信号待ちになったらまた追いつかれてしまいます。そう何度も出くわしたいわけでもないし、出勤時間も迫っていたので全力で自転車を漕ぎ、信号待ちを回避するため多少の遠回りをしたりしながら、どうにか職場に到着、いろんな意味で動揺しながら自転車を止めて、遅刻はせずに滑り込むことができました。
そうして仕事を終えた深夜、いろんなことがあった一日に思いを馳せながら帰ろうとすると、自転車がありません。確かにここに止めたのにおかしいなと思いながらほかの場所も探しましたがありません。
どうやら盗まれてしまったようでした。
考えてみれば、色々と動揺していたその日は、自転車のカギをかけるのをうっかり忘れてしまっていたのです。しかし長年勤めて自転車通勤も長く、カギをかけ忘れたこともそれは何度かありましたが、職場の敷地内で盗まれたのは初めてでした。あまりのことに呆然としながら事務に報告し、備え付けてあった自転車を借りてその日は帰りました。

その時、私の運には定量があって、いいことがあったらそれを埋め合わせるように悪いことが起こるんだと思いました。なので万が一宝くじなどを買って当たってしまったら同じくらい悪いことが起こるんだと思ったので、なるべく買わないようにとなっています。

そして後日、最終回スペシャルは前後編となって放映され、自転車の後ろに乗せて、あっないんか、というくだりもちゃんと放映されました。そしてその映像が、私の盗まれた自転車の最後の姿となったのです。
今思えば事故とかじゃなく自転車盗まれた程度でよかったし、笑い話ではあるんですが、いまだにどういう感情になっていいかよく分からない複雑な思い出です。

ちなみに該当の動画はYOUTUBEなどに上がってるかもしれませんが、私の映り込んだのは前後編の前編で、そっちはあまり出回ってはないようです。なのでこういう記事を書こうという気持ちにもなったのですが、気が向いたら探してみてください。
運の定量の事も、今こうしてネタにできたら元もとれたかなと、悪いことばかりではなかったと思えるようになるかと思うので、何かしらの感情をシェアしていただけると幸いです。

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