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市川春子「虫と歌」「25時のバカンス」

昨日は初めての免許更新に行き、新しい免許書を手に入れました。初回講習は2時間の長尺で、途中眠りに落ちそうになる度、パワーポイントに組み込まれたサウンドエフェクトで起こされました。音量が大きすぎませんか?あと、自分の経年変化を楽しむために古い免許書は一応もらいました。

マンガの備忘録を二冊。

■市川春子/虫と歌

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ヒト、虫、植物、星……生命の繋がりを深く軽やかに描く新しい才能‼  待望の作品集! (コミックスの帯文より)

装丁がむちゃくちゃ好き。首飾りのような植物と昆虫のデザインでレリーフが施されてるので表紙の触り心地がよいです。しかも、作者自身が装丁を担当してるとは驚き。

作品集は「星の恋人」「ヴァイオライト」「日下兄弟」「虫と歌」の4つからなる短編集となってます。ちょうどいいボリューム感で読みやすい。

とても独特な世界観で、ジャンル的にはSF(すこしふしぎ)なのに、題材は科学的なのにシンプルな輪郭だけの描線の画風と合わさると、読み心地は非科学的なふわふわした気持ちよさがあります。また、4つの短編同士は直接的なお話しのつながりはないのですが、どれにも「ヒト」と「ヒトの形を模したヒトならざる物」が登場し、ヒトの足りない部分、欠落を埋めようと、補おうと、寄り添う物語りです。

そして、一読ではすべてを理解できない作品集となってます。突飛な設定、それでいて登場人物たちは、元からそうであるように「ヒトの形を模したヒトならざる物」を受け入れるので、余分な説明があまりありません。それゆえ、読むたびに発見があるので、繰り返し読み返したくなる作品集でもあります。

知ってるか この宇宙の中で人間に見えてる物質は わずか5%で    残りの23%は光を作らず反射もしない物質で あとの72%は もっと得体の知れないものだって だから95%はわかってないんだと それなら父親をしらなくても 母親を覚えてなくても おかしくないよな 俺 本当は宇宙のこととか……いや (「日下兄弟」より)

得体の知れない物語でも、おかしくない。生まれてきたことにワケはなくても、生まれてよかった。喪失の痛みが沁みる「虫と歌」がとっても好き。

■市川春子/25時のバカンス

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海底から月、宇宙へ。生命の彩りはどこまでも。           市川春子最新作‼ (コミックスの帯文より)

作品集Ⅱは、「25時のバカンス」(前後編)「パンドラにて」「月の葬式」の3つからなる短編集です。

「25時のバカンス」では、空洞的なイメージが強く心に残ります。前編では、蝉の標本を作るときにオスの腹が空洞であるというカットが挿入され、後編では人間水槽の副産物となる“あるもの”を取り出すときにも同様のイメージが繰り返されます。蓮の花托(密集した穴)に恐怖を感じるように、くり抜かれた大きな穴がはヒトの力で塞げない欠落の意味を持ってるように思え、視覚的に恐ろしさを感じるのです。

記憶時間がたてば色んな見え方がしますから 弟がケガをして 乙女さんはなんとなく責任を感じていたのかもしれないですね」「なんとなくっていうのが一番やっかいですよ 誰にもわからないし動かない部分でしょ」(「25時のバカンス」より)
「いえいえ 寂しいのは悪いことではありません 他の存在に感謝できます 孤独は生まれてから塵に帰るまでの苦い贅沢品です 特に姫のは上等の  一日も早く若のミルクを混ぜてもらえるように祈ってます お元気で地上の母 瀕死の私たちを生まれ変わらせてくれたこと 忘れません 」(「25時のバカンス」より)
「姫のお考えがわかりますよ これ以上近づけないのなら今度は遠のく日がひどくおそろしい 最高得点で時を止めて逃げてしまおうという算段ですね ではこのまま地上にお別れを」(「25時のバカンス」より)

人間水槽の副産物となる“あるもの”の美しさは、気味の悪さと隣接的でいて、読んでいて相反する感情が共存します。

「大体ダンスなんて 教える必要があるだろうか 二人ならもっと簡単だ  相手が上手く踊れるよう 互いに自分を捧げればいい」(「パンドラにて」より)
「答えがわかるんです 勉強も親の期待も このまま順番に正解していくと僕が月並みな塵の固まりになることも分かっています その気配で息が詰まっておかしくなったんでしょう 受験の日に電車を間違えました 試験の時間が過ぎたら帰るつもりだったんですが 戻ったところで病人のような扱いでしょうから せめて なだらかな地獄みたいな場所でもさまよえば さびしさと苦しさで 僕が間違っていました もう二度と裏切りません という気分になるかなと思ったんですが わりと居心地よくて」(「月の葬式」より)

どの作品にも共通するのは「疑似家族」というキーワードです。 生まれて、出会って、自分の弱い部分をさらけ出す。 血のつながりではなく、内面の開示と他者を肯定することで、分かり合える。それが「ヒト」でも「ヒトの形を模したヒトならざる物」でも……。

「私達やっぱり似てるみたいよ」

おわり


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