「説得力」という言葉が嫌い

権威主義だと思う


 「説得力がないなぁ
 そう言われた経験、言った経験、ない人はいないんじゃないだろうか?
 そして言った経験の方が多い人、この記事を訝しげに読むことでしょう。
 私は言われた経験の方が多いですから(冗談を除けば言ったことはほぼないんじゃないか)、余計、「説得力のない」記事になるかもしれませんね。

 とはいえ、主張したい大事なことですから、先入観無しに聞いていただきたいのです。そして、これがものすごく大切にしていただきたいことなのです。

説得力とはなにか?

 みなさん、こと都合の悪い言説に出合うと、ついつい「説得力がない」なんて言っていませんか?もしくは、「賢い俺の頭で考えるとどうやらあいつの言っていることは間違っているに違いない」と思って、「説得力がない」と言っていませんか?
 いやいやそんなことはないな、どちらにも当てはまらんと思った方、まだ読むのを辞めないでください。きっとあなたは大抵後者です。「何かしらが成り立つには必ず理由があるはずだ」と考える賢いあなたこそ、説得力という言葉を濫用しているはずです。

 私が思うに、説得力というのはある種の権威性、俗に言う宗教的価値観をもつものがバックにいるということではないでしょうか。

 それは、分かりやすく権威でもいいです。
 「東大の教授が言うなら…」
 「あれは○○大の教授が言うことだからねえ、ほらでも、あそこの大学こないだ△△の不祥事があったでしょう、ちょっと信頼ならないわよねえ」
 こんな会話ならちょっと見渡せばそこらじゅうに転がっている実感があります。所謂、根も葉もない噂というやつ。

 もう少し直観的でないところでいくと、いわゆるエビデンス、証拠もそれに当たると思います。一般にそれは科学的であることが要求されますね。
 「それってなんかそういうデータあるんですか?」
 「客観性がないなぁ」
というやつです。これ、科学的な姿勢に一瞬見えますが、半分くらい科学的ではないです。科学の皮を被った狐です。

 あと最後にもう一個、個人的に一番くらいムカつくやつ。
 「それお前出来んの?」
 「でも、○○はやってないじゃん、それやってから言えよ」
 これはもう最悪です。全てを間違っています。どう間違っているかはとりあえず後述で、一つずつ見返してみましょうか。

権威のパターン

 これに関しては何も考えていません。脳細胞が死んでいます。偉い人が言おうが社会的立場のない人間が言おうがデータの価値は変わらないのに、全く無意味なラベリングを意味のあるものと信じ込んで判断の材料にしています。ある種の宗教みたいなものです。学歴主義を貫くような就活もこれと同じです。全く時代にキャッチアップできていません。する気もないかもしれません。でもするのは難しいだろうから同情はします。

科学的根拠のパターン

 これはとても厄介です。何故かと言うと、とりあえず思考能力はあって、しかも科学的プロセスにのっとっているからです。プロシージャーが正しいだけで、根本的な科学的思考ができていないので、ややこしいことになっていますが。
 でも結局、科学的正しさという権威、宗教に溺れているだけです。壺を買う人と変わりません

反証可能性

 ここで、話は逸れますが科学の根本的なスタンスについて私の理解を確認しておきたいと思います。
 科学というのは、タイトルにもあるように、「それ違くない?」ということを常に秘めている学問であります。そしてこれが全てであり根幹です。ここが納得出来なければもうこれ以上この記事を読んでも仕方ありませんが、そんな人は、コペルニクスを処刑した気狂いか、地球平面説を信じている人くらいでしょうか。いや、彼らも動機によっては科学的なのですがそれはとりあえず置いておいて…。
 とにかく、どんなに正しい科学的過程を経て証明されたことも、間違いだよと言われる日が来る可能性を否定できないということです。これは、理解に苦しむかもしれませんが、間違いなくそうなのです。実例もあります。それは、技術の発展や思想の転換など様々ですが、何事も否定することは困難であるというのは間違いありません。そもそも、時間が過去から未来に一直線に流れているかなんて宗教的な話ですし、あらゆる証明のもとになってる公理というものたちは、間違いなく正しいよねという合理のもと人間たちが決めた約束事です(ちょっと言い過ぎですが、そこまで的外れではないと思っています)。そこから組み立てられた理論は、何だか陰謀論のように聞こえるかもしれませんが、誤解を恐れずに言えば机上の空論のようなものなのです。箱庭の中の正しさだと思います。
 なんだか長くなってしまいましたので、ここらで本筋に戻らさせていただきます。

「お前はできるの?」のパターン

 これはとにかく最悪です。まず、物事を理解することと実行することの差異をこの人は感じたことがないのか素直に疑問です。確かに、確立した理論を持っている人はそれを応用すれば速くなれる可能性は高いでしょうが、必ずしもそうとは限りません。頭でっかちも、それを生かせる場所では素晴らしいんです。あと、「それやってから言えよ」のパターンもありますが、これに関してはそれをやれるかどうかの個人差があることに関して全く無頓着かつあまりにも横暴なので言うまでもないかと思います。

最後に

 ここまでツラツラと書き連ねてきました。まとめると、「説得力」は権威や宗教といった大きいものに縋り付くだけの、思考停止ということです。自分の頭で考えればどんな情報も等価です。もちろん、ある種のフィルターとして「説得力」は大事なファクターになると思いますが、それで判断してしまっては、元も子もありません。というやつです。
 自分のその頭で考える癖、つけたいですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?