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雑記:すべてわたしが悪かったんです、ごめんなさい。

と、思いすぎずに生きていこうと思う。

人に頼んだことが思うように進まない、といったトラブルが起きたとき、直接の原因が自分になくても「全部わたしのせいだ」って思ってしまう人、少なくないと思う。わたしもそのひとりだ。

「わたしがちゃんと声をかけていれば」
「わたしがもっとしっかりしていれば」

ーもちろん、自分にできることを考えて、次に生かそうとするのは立派なことだ。

ただそれは、「責任を持つ権利を他人から奪う」ことにも繋がるのではないかと、最近よく考える。

責任を伴う物事には、信頼関係がついて回る。「任せる」ということは、相手をリスペクトしていないとなかなか難しいことだと思う。他人からの適度な期待や重圧で頑張れることだってある。

そこで「自分がすべて悪かった」と責任をひとりじめしてしまうことは、「あなたを信頼していなかった」もしくは「もうあなたは信頼できません」というメッセージを発しているに等しいのではないかと。
自分がすべて悪いと思ってしまうのは、実はコミュニケーションの放棄なのかもしれない。一緒に歩んで行くならば、擦り合わせだって必要だ。そう考えるようになった。

もちろん、「信頼していた」という言葉を盾に、自分のことは棚に上げて相手に責任をなすりつけ、激しく責めるようなことはどうかと思う。

だから、責めない。自分が任せた相手に対しての、自分が持つべき責任はそこだと思っているから。
責めないけど、解決までをひとりで背負い込まない。じゃあどうしてほしいのか、思いを伝える。適切に分けあう。そりゃ自分にできることはやるけれど、相手に頑張ってほしいことだってあるもん。
そして、やってもらったことには感謝する。声に出して、態度で、文章で、伝える。

「すべて自分のせいだから」と、勝手にひとりで抱え込むことはやめよう。「ここは頼んだ」と言えるようになろう。自分が頑張れば解決できた話だ、と思いあがるのはやめよう。そう、自分を戒める。みんなで生きているんだから。

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