1.一番になりたくて

パンパン!まだ少し東北の春の風が肌を刺す5月の初め、自宅六階のマンションから徒歩2分の距離にある僕の通う小学校から、運動会開催の花火の音が鳴る。                 先月、学年でも早くに12歳を迎えた僕の出席番号は6年1組一番。
今日はまたクラスでヒーローになる。そのはずだった。
                                          
幼稚園初めての運動会。
リレーのアンカーとして、最下位だったバトンを1位でゴールテープに持って帰り、小学4年のドッチボール大会の決勝戦には一人で相手チームのほぼ全員を外野送り。 オマケになるが学年で恐れられていた暴力少年の2人は、5年の時にすでに暴力でねじ伏せた。                                                                           運動神経社会と言っていい小学校の世界において、僕に出来ないことや、僕より強い人はいないと思っていた。                                                                                     何をやっても1番で、1番になること、1番で居続ける事が周りに認めてもらえる僕の知っている唯一の方法だった。

親父に起こされて朝の食卓へ向かう。                                                                       テーブルに親父の読み終わった新聞と温かそうなご飯が置いてある。                
「お前、今年もリレー出るのか?」興味があるのかないのか分からない親父の声が聞こえる。1ヶ月前から夕飯時にリレーに出る話は何回もしていた。                 「うん。リレーも出るし、徒競走も最後の組で出るよ。」運動会のタイムスケジュールに目を向ける親父に「リレーの時だけ見にきてくれればいいよ。」と少し自信に満ちた声で生意気に答えるのを、5分程僕より遅く起きた5歳上の姉と、いつも優しくて陽気な母も聞いている。                                                                              フィリピン人の母の影響もあり、家の中の雰囲気はいつも騒がしくそれでいて愛の柔らかさが空気に漂う家庭だった。                                                                          僕の回答に誰一人答える人は居ない。
すぐに別の会話が母から始まる。                 
家族全員が応援しに来てくれる事を分かっていたから、無視されたことを気に留める事もなく湯気が立つご飯に手を伸ばした。                                                            僕はこういった家族の毎日の会話が結構好きだったりした。                                  
何だかんだ朝から観に来てくれる。家族の一番年下は僕で、このポディションも結構好きだったりした。                                                                                                少し雑に朝食を食べ終え、歯を磨いて舌も洗う。                                                     運動会当日の緊張のせいか、口の中に広がるメンソールの香りがいつもと違う気がした。

昔から緊張との関係性が悪く、特にスポーツをやる時はいつも足が地面から浮いてしまう感じがして、その感触を打破するためには1ヶ月以上のトレーニングをし、努力をしているという自負が必要だった。                  ドッチボール大会の日だって、夜遅くまでマンションの下にある小さな公園でサッカーボールを投げこんでいたし、学年最強と謳われた喧嘩自慢の2人と殴り合いの喧嘩をした時も、親父に頼みこんでボクシングをやっていた。         
自分にとって一番の強敵はいつもこの緊張という名の内在神だった。      
朝、家を出てからただ歩くにも、友達との会話をするにも、どこか自分で居て自分の体では無いような感覚がここ最近の怠けた日々を思い出させる。       
去年の年末から同級生の間で流行り出した、巨大なモンスターを倒すゲームを、ここでも僕は同級生の誰よりも進めるために、スポーツそっちのけでやり込んでいたのだ。                                  それでも運動会の総体練習では、徒競走でも一位だったし、リレーではアンカーでは無かったが第2走で、1組のスタートランナーが4組中4位になってしまうところを、クラスで1番足の速かった僕が1位に巻き返すという担任の先生の作戦を、難なく成し遂げていた。
練習なんかしなくなくてもどうせヒーローになれると傲慢な気持ちでいた。                                   だからこそ今日の緊張は、見えない悪魔か何かに、釣り糸で空中に吊り上げられているようで嫌な感じだった。

学校に着いて、いつも通りの朝の会が行われ、皆で力を合わせて頑張ろうと担任のスクリプトのような掛け声を聞いて、いつもだったら「オー!」とクラスの誰よりも声を上げて盛り上げる僕なのだが、今日は自分でも隠し切れない不安が喉のそこまで来ていたから、クラスの皆の声だけを聞いて校庭に向かった。       
ドクッドクッ。 心臓の音が耳まで聞える。
運動会1番最初の種目は今年も、毎年恒例最上級生の徒競走。         
体の大きな子供達が全力疾走することで、運動会の開始に迫力をつける先生達の企みなのだろう。                              1レース6人で学年4クラスをごちゃ混ぜに、50メートル走のタイムが同じ位の人が競い合う。
僕の出番は21レース目。最後のレースだ。学年でも1番足の速い人が出揃うレース。                                   パンッパンッ!! 1組目からレースが始まった。

耳鳴りがして景色がぼやける。                       20秒毎に、「位置に着いて、、、用意、、、、パン!」と銃声が校庭に響き渡る。                                   隣のレーンに並ぶ、沼倉春弥を見た。                    春弥は6年3組のリーダー的存在だった。1年生の時から足が速く、少年野球チームにも入っていて、その他のスポーツもやはり万能だった。          
彼も運動神経社会の小学生において、いつも目立つ存在ではあった。しかし、6年間同じクラスに1度もなった事が無いため、放課後一緒に遊んだ事はあったものの、お互いに何処か牽制している部分があり、会話はほとんどした事が無かった。      
今年の体力テスト。
僕の50メートル走のタイムは7’60秒。         
友達伝えに聞いたが、春弥は7’77秒だったらしい。             学年でベストタイムを出していた僕だったが、思い返すと一緒に鬼ごっこやケイドロをやっていた時、春弥を捕まえれた事は一度も無かった。          
<あれ。こいつそういえば、総体練習の時何位だったんだっけ。>       
冷静では無い頭で記憶をたどっていると。レースは12レースまで来ていた。                                   20秒毎に鳴っていた銃声が、さっきより短い間で聞こえる。         
深呼吸をして、その場で軽くジャンプをする。血行が足に行き渡るように体を動かしてみるが、逆に心拍数が上がった様な気がした。              
他学年の生徒達や、親御さん達が最上級生の徒競走を見ている。        
1レースから順に、走者達の迫力が上がる。                 いよいよ、21レースの番が回って来た。                  

「位置に着いて、 用意、 パン!!!!」                 21レースの6人全員が一斉に走り出す。出だしはやや遅れ気味の僕であったが、前半の直線でいつもの様に1位に乗り出す。                
「ダッダッダッダッ」                           ほぼ6人同じテンポの足音が僕の後ろで荒々しく続く。足の回転数が同じ位でも、6年生にして169cmある僕の歩幅が後続とのリーチを広げる。       
校庭を約半周するコースで僕の1番得意とするコーナーが見えてくる。     
ここで一気に体のバランスを左に傾け、体重を乗せていく。          
後続の足音の量が少し減った。                       しかし、僕のすぐ後ろでなる足音だけは大きくなっていく。 1位でコーナーを抜けた。                                  最後の直線に差し掛かり、ゴールテープが見えて来たところで急に足に力が入らなくなった。極度の緊張から、無呼吸で走っていた僕の視界は酸欠によって歪んでいたのだ。                                 それでも後20メートルも無いゴールテープに向かって、気力だけで足をだしていく。                                   後10歩、9歩、8歩、7、、、                      後から、さっきよりも加速した足音が迫ってくる。              右を向くと、息切れの無いひょうひょうとした顔で春弥が走っている。     
次に僕が踏み出す足よりも速く、春弥がそのまた次の足を踏み出す。      
ゴールテープが目前。                          後、3歩足りない所で僕は負けた。                     僕の最後の徒競走が終わった。

急に走りだした事で貧血をおこし、唇が紫色になっていた。          
水道水を飲み、少し一人で休んでから、6年1組の観戦場に行った。                                   クラスの皆と親御さん達が集まっている。その中に僕の家族も勢揃いで観に来てくれていた。                                姉と母が笑っている。                          「負けたわ〜。」ゲームに明け暮れていた自分のせいだと、子供ながらに言い訳が無かったから、明るく「ごめん」と伝えた。                 
母が「そんな事より、お前の走り方カッコ悪いよ」と姉とゲラゲラ笑っている。                                   5年生の時に急激に身長が伸びて、膝にオスグットという成長痛を抱えていた僕の走るフォームは、それをかばうために、変な走り方になっていた。       
母と姉が、僕の走り方を真似する。またゲラゲラと笑っている。        
親父は「2位だから良いじゃねえか」と本当にそう思っているのかいないのか、何となく励ましてくれた。     そんな家族の会話が、やっぱり僕は好きだった。

間も無くして、学年4クラスの対抗リレーが始まった。            個人競技では無いリレーにおいて、僕の役目は重要だった。                                                小学生のリレーといえば、クラスで1番足の速い男の子がアンカーを務め、そのアンカーの中でも頭一つ抜けた足の速い子が、総抜きするという光景を良く目にすると思うが、今年のリレーは例年とは変わり、春弥やアンカー級の人が途中で走る、練習の時から順位に予想が付けづらい試合を繰り広げていた。         1組も体育授業の全体練習では4組中3位、2位と中盤の順位を争っていたが、本番前の総体練習で走者の順番をガラッと変えた。他クラスの穴を1組担任の山家先生が見抜き、僕が2走を走ることでレース序盤から1位に乗り出し順位をキープし続けるという作戦を取った。その作戦が実を成し総体練習で1組は1位を取った。  とにかくスタートランナーがどんな順位でバトンを運んで来ても、2走目の僕が1位に巻き返すという重要な役目を任されていた。               「ドクッドクッ。」さっきの休憩で落ち着いていたはずの心臓が、また痙攣じみた動きをしだした。

1周200メートルのコースを1クラス10人で半周毎交代にバトンを繋げる。                                    1、3、5、7、9走者がスタート側のコースにスタンバイする。                                           2、4、6、8、10走者がもう半周側のコースにスタンバイする。                                            1走者がどのレーンを走るかを決めるジャンケンをする。1組は1レーンだった。2走者目の僕達も先生に案内されて、ジャンケンで決まったレーンに並ぶ。   僕はとてつもない緊張を隠しながら、その場でアキレス腱を伸ばした。小学校最後のリレー。 クラスの皆の期待を胸に、頼り無い僕も覚悟を決めて用意した。  「位置に着いて、、、用意   ドン!!!」         

第1走者がスタートする。練習では見たことが無い気迫で、体をぶつけ合いながら最初の20メートルを走り出す。コーナーに差しかかったところで、3組の走者が前に出る。次に2組の走者が続く。 1組の走者を探していた僕の目に飛び込んだのは思いがけ無いアクシデントだった。4組の走者と1組の走者が体を交えながら倒転したのだ。「きゃー!!」校庭に女性特有のホイッスルの様な声が各所で鳴り出す。ダダン!と地面と体がぶつかり合う鈍い音がして、先生達が二人に駆け寄って行く。その間にも3組と2組の走者が、今にコーナーを走り切ろうと進む。先生達が二人に駆け寄るより早く4組の走者が立ち上がり走り出す。1組の走者が数人の先生達に「大丈夫か!」と声をかけられていたが、何かを答えて苦情な顔で走りだした。1組の走者がやっとコーナーに入る所で、3組の走者が2走者目にバトンを渡した。

僕は力一杯叫んでいた。「頑張れ!もう少しだ!!!」僕の声は校庭の歓声に紛れて聞こえていなかったと思うが、目に涙を溜めて走ってくる1組の走者に、力一杯声を飛ばした。僕はさっきまでの緊張を忘れていた。     体の底から燃え上がる様な力が湧いてくる。4組の走者がバトン繋ぎ、2走者目が走り出した。    「リッキー!!!」1年生の頃から呼ばれ続けた、僕のニックネームが騒がしい歓声の中から聞こえる。1組の皆が願う様に僕の名前を呼んでくれていた。              コースの先を見る、1位、2位を争う走者がコーナーの中盤を走っている。練習でも、見た事が無い程差が広がっている。それでも何故かこの時は、イケると思えた。1組の走者がいよいよバトンを僕に繋いだ。                       「リッキー。ごめん。」

風を切る速度で走りだした。さっきまでの歓声が、一際高まる。1位を走る走者との差は、距離にして50メートル弱。徒競走の時とはまるで別人になったかの様に、鋭く足を地面に刺し、跳ね上げる。歓声が高っまった原因が僕の走るスピードの速さにある事が走りながらでも分かった。とにかく無心で前を見た。     あっと言う間に4組の走者を抜いてコーナーに入る。前を走る二人が1歩足を出せば、僕は2歩足を出す。  前の二人が1メートル進めば、僕は2メートル進んだ。体の重心を左に傾けてコーナーを進む。何の音も聞こえなくなって、僕はゾーンに入った。小学校最後の運動会は僕だけでなく、1組の皆にとってもそうなんだ。リレーのメンバーに入れなかった仲のいいクラスメイトの顔が浮かぶ。1組のスタートランナーの泣きそうだった顔が浮かぶ。僕のスピードーがトップギアに入りかかる所で、2組の走者は既に僕の後ろを走っていた。僕の走る偶数側のコーナーの終盤に、6年1組の観戦場がある。目に映る背景が全てスローモーションで見えた。リレーに選ばれなかったクラスメイトが、さっきまでの僕の様に、力一杯僕の名前を呼んでくれている。家族の姿がクラスメイトの後ろの方で小さく見える。母と姉が笑いながら何か叫んでる。隣で親父が、その二人よりも大きな声で叫んでいる。親父が本気で応援してくれている。  僕は体中の力をトップギアからさらに上げる様に振り絞った。3走目のランナーが2走者からのバトンに手を伸ばす景色が見えてくる。3組のランナーが後3歩前にいる。                                                  僕は風を切って走った。これ以上早く進む事は出来なかったけど、皆の声が背中を押してくれて、僕はバトンパスで走者が絡み合う寸前に前を走る全員を抜かした。

結局、 クラスのヒーローは1走を走った女の子だった。           運動会翌日、「あっちゃん本当に頑張ったね」クラスの女子があっちゃんに群れて話込んでいた。僕は少しだけいじけた様な感情を抱いたが、その感情も時間が経つに連れて忘れていった。                          学年が変わり、新クラスになってまだ溶け込めない人も多くいる5月の終わり、運動会のリレーでアクシデントからの1位優勝の結果は、1組に新しい絆を作った。  観戦場で声援を送ってくれていた皆も含め、1組が初めて一丸となった日だった。僕は休み時間あっちゃんに呼び出された。告白かなと浮いた気持ちでいたが、行ってみれば、「リレーの時はありがとう。」と改めて礼を言われただけだった。僕は少しだけあっちゃんに特別な感情を抱いた。

運動会が過ぎてから、僕はとにかくスポーツにのめり込んだ。去年の年末からやり込んでいたゲームもやめた。久々にやろうとした時もあったが、しばらく触っていないせいか母が何処かに片付けてしまい、家の中で行方不明になった。     これまで色々なスポーツをやって来たが、僕が1番夢中になったのは野球だった。少年野球クラブで習ったりはしていなかったが、とにかく学校終わりにクラス関係なく友達をかき集めて、日が暮れるまで遊んでいた。             野球には体を動かす全ての動きがあった。投げる、叩く、走る、捕る。全ての動きが単純ではなく、どの動きも繊細で1球1球にかける人間の感情に、ロマンがあった。中学に入ったら野球部に入ると、この頃から両親に伝え、友達が集まらない放課後も、街がまだ眠っている早朝も、僕は一人で毎日練習していた。壁に向かって投げ、バットで空気を何度も切り、音楽を聴いて走った。毎日。        秋になり、僕の体は大人と変わらない体格になっていた。好きな事にはとにかく夢中になれたが、椅子に座って聞く授業や、親に習わされていたピアノなんかには夢中に慣れなかった。僕が1番になりたいのはスポーツで、ヒーローになれる事もスポーツだけだとこの時はまだ思っていた。   

この年、僕は大きな悔しさと、一つの気付きを知った。            市で行われた、陸上記録会で僕はリレーのアンカーを走った。そこでまた、運動会の徒競走で味わった緊張に襲われて、1位で受けとったバトンをゴール前で抜かれてしまい2位で持ち帰ってしまった。陸上記録会の目玉種目、学年全員が注目する中で僕は緊張に負けた。春から鍛え上げた走り込みも意味無く、緊張という悪魔を前に、僕は大きな悔しさを経験した。                    だが、冬の学習発表会では今まで気づかなかった、自分の強みも知った。6年生は、全体合唱と楽器演奏。                         声変わりの早かった僕は、小学生のソプラノ、アルト2部合唱のキーが高く歌えなかった。音楽の先生に頼み込み、テノールパートを作ってくれとお願いをした。 僕以外にも声変わりの早い男子を10人程度集めて、学校初の小学生3部合唱が誕生した。楽器演奏でも、僕は嫌いだったピアノを習っていた事もあり、リズム感を認めてもらい、コンガという打楽器を任された。               インフルエンザが流行っていた関係で、6年生の発表会は2度延期になった。                                        しかし、そのうちの1回は、インフルエンザが治ったものの、僕が出遅れてかかってしまい僕一人の為に延期をしたと、後になって先生と親父から聞いた。   ここでも重役を任されていた僕であったが、本番では緊張もなく気持ち良く音楽を楽しむ事が出来た。僕は、音楽をかなり好きになった。              スポーツでは、緊張で動けなくなってしまうが、音楽ではとても強い神経を保てた。これは、僕にとって、その後の人生に大きく影響する一つの気付きとなった。

小学校最後の春、僕は卒業式で少しだけ泣いた。この学校の先生達が結構好きだったから。家から近い学校ではあったが、僕はもう会うことはないと思った。          僕は、中学で輝く事だけを見つめていたから。 沢山、大事な場面を任せてくれた先生達には感謝しかない。だからこそ、また輝きたかった。           東北の春は、まだまだ風が冷たくて、気が緩まら無い。僕は帰ってバットを握った。

一番になりたくて。

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