3.11と今日の戦争

ほんの小さな人間の、僅かな自己啓発です。

本当に悲惨な世の中で、ウクライナの難民の人達の気持ちを考えると心が押し潰されそうです。
3.11東日本大震災の時、津波に襲われた街の人達の、その後の何年間を僕は宮城県の内陸で過ごしていた為、平和に暮らしていたし
今だって平和に暮らしています。
例えば楽器を始めるスタートラインに10代で立てた人がいても、あの時津波に襲われた人の中には、スタートラインに立てず、やりたい気持ちを殺した人達がたくさん居たと思う。

ウイルス戦争の後には、今第3次世界大戦が始まりそうな世の中で。
僕の20代という僅かな時間に見る世界は、今のところ本当に悲惨です。
小さな子供達が、今同じ時間を生きている中、過去の自分の世界とを照らし合わせると、 今の子達の不自由な生活に胸を痛めます。
自然災害では無く、今度は人間の欲深さと愚かさがまた残酷を生み出していく事を、僕は何も出来ない小さな人間だけど激しく怒っています。
難民の人達の気持ちを想像する事ができない、国の大統領。
他の国に生きる人達は、まるで人では無い扱い。
国々の歴史や様々な問題がある事を、学の無い僕が簡単に発言する事は危ういかもしれないが、まず人の気持ちを想像し会話を進めることは出来る人間です。
今の自分に起こっている幸せを、難民の人達に分け与える事が出来るなら僕は分け与えたいです。
日本語じゃ伝わらないかもしれないし、無力だけど日本の東京から心より無事を祈っています。
生きる事を辞めないでください。

歴史にいた数多くのミュージシャンが、 平和を願って歌いました。世界中の人達が平和を誓い合う事がこんなにも難しい事だって、知っていても発信していました。
だから俺も発信する。
自分に関わる人達だけにでも届くように。


世界規模で起きている戦争は、大小異なれど、僕達の生活の小さな規模でも毎日起きている。自分にとっての正義は、誰かにとっての残酷で
だからといって、一人で生きていく事が出来ないのが人間だから摩擦が起きる。
この摩擦の規模が、個人からグループ、組織、会社、国と、大きくなる事で、戦争になるという認識です。

僕が考える、これからの時代に必要な力は、小さなコミュニティーで生活や商品、経営、様々なジャンルで自立して行く強さだと思います。僕らZ世代と呼ばれる若者は、企業の広告、テレビCMなど大きな会社、組織から影響を受けて実際にその商品を手にしたり、体験をしに行く事が殆ど無くなっています。逆に言うと僕たちが今信じている発信源は、身近にいる人の口コミ、SNS、youtube、と個人によって発信された、個人発信のコンテンツです。もっと言うと、一人の人間性の信頼が1番の重要点になっていきます。今も1件1件インターホンを押す営業マンがいる中で、会社の商品を売りこむのでは無く、自分が開発した商品、または技術を売り信頼を勝ち取ることが出来れば、誰かや何かに生活を左右される事が無いんです。
自ら経営や、グループのリーダーになる事を望まない方もいると思うが、であればリスクを共に背負える、信頼ある人間の小さな組織に入る事が良いと思います。少人数である事で自分の立場も重要になって行き、仕事のやり甲斐も上がります。僕も何億円と大金を手にした人では無いため、説得力にかける点がありますが、個人宅に行き、父にもらった植木の剪定の技術で仕事をもらっています。そしてバンドのメンバーの一人が塗装や外構の技術を持っているため、2人3脚で小さなコミュニティーとして動いています。

これは、音楽活動に置いてもこれからの時代はそうであると考えていて、メジャーがどうだ、事務所、レーベルがどうだとかでは無く、アーティストにファンが100人つき、それを自分で管理する力があれば、どこかに属する必要性がなく、まずは音楽活動を続ける事にメリットが生まれます。恥ずかしながら、音楽活動に置いては僕の考えに未だ到達は出来ていないですが。

話が大分逸れたが、3.11東日本大震災の時、僕の父はこの小さなコミュニティーのリーダーとして家族やご近所さんの生活を守りました。父は造園業を経営していて、生活を守る上でも自立した人でした。突然の地震によって僕の街では、確か1.2週間程、公共のシステムが止まり、皆近くの学校に避難し、食料や支援物をもらって過ごしていました。当然、僕達家族も避難するものだと思いましたが、父の力によって支援物など一切貰わず、井戸の水を引っ張ったり、炭や伐採した丸太を使って火をお起こし、発電機で電気も使え、バーベキューなどをして食事をした事は、今でも記憶に新しいです。父のここでの判断は、家族という小さなコミュニティーを守る上で、国という大きな定められた支援で多くの人と過ごすより、自らの知恵とコミュニティーの繋がりで守る方が、他者との関わりを含めて安全だと考えたんだと思います。父の周りにも、同じような人達がいて、これをあげるから、それをくれと、お互いwinwinの物々交換のような事もしていました。

あの時は、皆助け合いの精神で過ごしていたと思うが、仮にそうでは無い人がいた場合。避難所の場所取りから何から、人間同士の小さな戦争が起きるんです。それは大きなコミュニティーの場で生きる上では避けられない道で、それを回避するために僕は小さなコミュニティーで生活を自立して行く事が、僕の考える、僕の価値観に置いての平和に近い思想だと思っています。

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