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鮎太と、ハンス。

「りさこ、ミランダ・カーに似てる」
一部の友達や先輩方が私に言うんです。

やめてよ恥ずかしい、言うならもっとデカい声で言え?
って思ってます。冗談です。どうもこんにちは。神奈川県産ミランダ・カーです。



ミランダは今日定期試験が終わりました。
受験生は学年末試験は免除されるので、実質最後の定期試験でした。

得意な科目は、コミュ英、英表、現代文、物理、数学、体育。理系なんだか文系なんだかよく分からない成績を取っていました。

そもそも、文理選択がない学校なんです。
大学附属であることからゆっっっくり学ぶカリキュラムの下、文理問わず満遍なく勉強してほしいという学校側の教育方針です。

皆さんもご存知の通り、私はミランダ・カーの顔をしたいい子なので、学校の教育方針に沿って成長をしてきました。その結果、大学で研究したいことも文理融合テーマになりました。

その研究が行える学校に行きたいものです^_^



ところで、皆さんにご紹介したい本が2冊あります。

①井上靖の『あすなろ物語』

②ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』

あすなろ物語の主人公鮎太と、車輪の下の主人公ハンス
2人のような生き方、すごくリアルだなって。

あすなろ物語は1953年、車輪の下は1906年に世の中に出版されました。昔に書かれた2人の生き様なのに、現代にもこういう生き方してる人いる!って思ったのでnoteを開きました。

(なんか私って導入長いなって今思った。本題ここからだもん笑)


①あすなろ物語

そもそも翌檜(あすなろ)とは、檜(ヒノキ)によく似た木のことで、あすは檜になろう、あすは檜になろうと念願しながら永遠に檜になれないという悲しい説話が語源だそうです(諸説あるが、この本ではコレ)。

家族関係でワケあって、りょう婆さんとの二人だけの土蔵の中の生活を送っていた鮎太。

めっちゃ端折ると、、
鮎太は克己心を持った秀才な子供だったのに、個性的な少女らと関わる中で成績はガタ落ち。それからも他の女性らと関わり、結局中途半端な大人に成長するんです。

中でも2話「寒月がかかれば」では、学業でも鉄棒でも歌でも所詮自分は翌檜でしかない、と諦めの気持ちと共に自覚するシーンが描かれていて、だんだんとあすなろと自分を重ねるようになるわけです。

あすなろは、一流になれないという自嘲的な捉え方もできるし何者かになろうという向上心があると肯定的に捉えることもできる。時にあすなろですらない自分自身を情けなく、しかしどこか愛でている描写も見受けられるんですよね。

わかる気がしますよね、この中途半端な感じ。

兎にも角にも読んでみてください。笑



②車輪の下

主人公ハンスは町始まって以来の天才児と呼ばれ、大きな期待を背負って神学校に入学します。優秀なお子様であるところは鮎太と似ていますね。

でもハイルナーという少年と恋(同性愛)に落ち、成績はガタ落ち。似てますね。そんなハイルナーは不祥事を起こしてサヨナラ。恋人を失ったハンス、病んじゃう。帰郷。天才児じゃなくなったハンスには周りの大人は既に興味無し。
周りの大人は、ハンスを自分の教育の反映道具としてしか見てなかった。だから帰郷してハンスが自分らしく生きようとしても、周りの大人は自分のことしか考えず、ハンスは孤独に。結局、所詮大人の道具でしかなかった落ちこぼれハンスは、機械系の仕事に就くものの事故死してこの話は終わり。

ここでいう「車輪」というのは、社会や学校などで、ハンスを追い詰めていく制度的な存在のことです。その車輪に踏み潰されていくことによって、彼の純粋な心はしだいに変化していくこととなります。

いい子がいい子でなくなった瞬間、周りの大人も別人になるわけです。子供をなんだと思っているのでしょう。




どちらの作品も環境的要因から人生を狂わせるわけです。又、どちらの作品も著者による自伝的小説です。

自分が何者かようわからん中途半端な鮎太と、大人の言うことを聞いてきたよく出来たお子様ハンス。

2人のような生き方をしている人、現代にもいますよね。自伝だからこそすごく共感しました。

そして、2冊とも読みやすかったです。読んでみてください。



いい教育の在り方とは。
永遠の課題であり、実に考えさせられますね^_^


そんなことを考えつつ、受験勉強に励みます。