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本日5月1日はメーデーです!

「メーデー」とは

本日5月1日は「メーデー」で、今年も多くのイベントが実施されています。日本労働組合連合会(連合)のホームページによると、アメリカのシカゴで労働者が1886年5月1日に、それまで1日12時~14時間勤務が当たり前であった労働環境の改善を求め、ストライキを実施し、1日8時間勤務を要求し実現した事が由来との事です。
以降は、労働者たちが権利を主張する日として、ヨーロッパに広まったのが現在の「メーデー」で、大規模なイベントやデモ行進が行われてきました。

日本における労働環境改善運動

我が国においても、「労働組合法」、「労働関係調整法」により、ストライキをはじめとする集団行動は合法的な争議行為として認められております。

特に炭鉱労働者の労働環境は、常に危険と隣り合わせであり、過去には、「北炭夕張新炭鉱ガス突出事故」、「三井三池炭鉱炭塵爆発事故」等、多くの犠牲者を発生させた鉱山事故が多発しました。

足尾銅山観光の坑内(参考)
足尾銅山観光のトロッコです。

その為、かなり早い時期から労働組合が設立され、「日本炭鉱労働組合」は最盛期には33万人の組合員を有しておりました。戦後の日本は主要なエネルギーである石炭の採掘を進める一方で、労働災害の発生、その後、石炭から石油にエネルギーがシフトした事による合理化による閉山で解雇等などの問題で労働組合は一定の役割を果たしました。

また現在においても、「労働基準法」で坑内作業の規定(労働時間、妊産婦及び18歳以上の女性における坑内労働の就業制限)が残っており、如何に坑内労働が危険であったかを理解する事ができます。

労働基準法のあらまし(厚生労働省作成)


足尾銅山に残る「労働組合事務所」

先日、田中正造が鉱毒問題に取り組んだ事で有名な足尾銅山(栃木県日光市足尾町)に訪問しました。足尾銅山は1973年に閉山し、その後も輸入鉱石による精錬作業が行われておりましたが、こちらも1989年に事業停止しております。
そんな足尾銅山に未だに「足尾銅山労働組合」の事務所があります。写真のように、廃墟といった感じではなく、もしかしたら今でも現役で使用されているかも知れませんね。
因みに栃木県で一番最初にストライキを実施したのは、この足尾銅山で、かつて足尾町は県都、宇都宮に次ぎ、県内第二位の人口を有する町でした。(その後、市町村合併し現在は日光市の一部となっております。)

足尾本山近くの「足尾銅山労働組合事務所」

事務所の近くの松木川には、国の重要文化財でもある、アーチ橋「古河橋」もあり、足尾銅山全盛期の名残を感じる事ができます。1891年に開通し、現位置に残る現存最古の橋として、歴史的価値も非常に高いです。

中央のアーチ橋が古河橋で、現在は通行禁止。
その奥の三角屋根の建物が精錬所。
かつての足尾銅山

かつて、鉱毒問題で地肌が剥き出しになった足尾の山々は、NPOのボランティアの方々の尽力による植樹活動で緑を戻しつつあります。

植樹祭の様子

足尾銅山に行って「労働組合事務所」を見つけ、たまたま今日が「メーデー」だった為、何かの縁を感じて、記事を書きました。はじめての、「note」なので、至らない点もあるかも思いますが、是非ともフォローいただけると励みになります。


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