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「孤独ゆえ手紙を書きます」

ぬるい大学生が羊文学の『踊らない』が良いと言っていて顔の形が変わるまで殴ってやろうかと思った。愛って結局言ったもん勝ちだし先着優先なとこあるよねっていう、ただそれだけのことが無性に許せない、勢いだけで何か意味ありげなこと言えると思ったけど全然甘かったね。前まで細々と書いてたアカウントにログインできなくなっちゃったので、仕切り直しにアカウント作り直した。実際の私はたいして孤独でもないのにこんなタイトルを冠した文を書いている。

仕方のないことなのかもしれません。あるいは罰なのかもしれません。人を信じるということ、ささやかな一瞬を積み上げていくということ、そのありきたりな積み木崩しの果てにまた積み上げるブロックを間違えたらしきこと。愛さない認めない変わらないほうが無くさないって、本当かよ。今ならまだ全部無かったことにできるって私が愛さないよう努めていたあの時間をどう定義づければ良いのか、まだわかりかねています。死ぬには未練が多過ぎるしまだ殺してない敵も果たしてない願望もある。命の使い道なんか考え出したらキリがないので、



「人間に滅ぼされた人間」

という触れ込みの映画を観て来た話をするよ。


『私、オルガ・ヘプナロヴァー』


チェコスロヴァキア最後の死刑囚の実話を基にした作品で、家庭や社会への疎外感から白昼堂々トラックで十数人を轢き殺した22歳の女の子の話。

まず前提として鬱屈とした顔のいい女、大好きだね。しかも黒髪ボブですって?即答で好きだよ、そりゃ。モノクロの画面から学校に馴染めず精神病院でいじめられ自殺に失敗し家を飛び出し…っていうドロップアウトの過程を見せられるわけだけど、被害妄想強めな主人公なのであんまりモノローグが信用できない(「父親から殴られて以来、話してない」とか)。むしろ主人公よりも画面が雄弁に色んな背景を物語ってる。経済的には不自由ないけど家族間の会話が極端に少なかったり、具体的なことが描かれてないだけでなんかありそうな家だな〜と思わせられる不穏さに満ちている。自殺未遂した時の「自殺には強い意志が必要。だからあなたには無理よ」って母親が言い放つシーンも、たぶんこういうの初めてじゃないんだろうなと思わせる疲労感・無力感があっていい。とうに教育を放棄した家でルサンチマンを募らせる娘。うーん、これは家出するルートしかないよね。

で、郊外に小さな小屋を借りて運転手として働き始めるオルガ。まだ共産党政権下の労働者、みんな絶妙にやる気がなくてこれぞ東欧!って感じ。


くたびれた労働者、イイ
ネクタイ締めてジャケット羽織ってるのもかわいい


職場で出会った明るい女の子といい感じになるんだけどやり手の彼女はウブなオルガにすぐ飽きちゃって捨てられる。


それまで家庭や友人との間に育めなかった絆を求めてのめり込むんだけど、相手からはちょっとした火遊び程度にしか思われてないのがしんどいね。

この失恋に傷ついたオルガは毎晩盛場に繰り出して目をつけた女の子と一夜限りの逢瀬を楽しんでみたりするけど満たされない毎日が続き…


たまに同年代のコミュニティに紛れ込んでも、孤立しちゃって買い出しに行っちゃったり煙草の持ち方が幼かったりするあたり、交友関係の希薄さが見て取れる。挙げ句の果てに職場で近づいて来た胡散臭いおっさんにやられちゃって(テント片付けるおっさんの満足げな表情が前日の夜に何があったか物語っている)、精神病院への入院も拒否されて…って加速度的に辛い体験が重なっていき、ついに凶行に走る。

意外だったのは、裁判から処刑まで物語が続いてること。でも正直これは蛇足だったかも。統合失調症っぽい言動が目だったり、死刑の直前暴れて嫌がったり、俗物としてのオルガしか描かれてない。あの神がかった鬱屈さが嘘みたいに徹頭徹尾幼くて手に負えない。もちろん無実の市井の人々を巻き込んで法によって殺してもらおうなんていう発想が俗物なのは言うまでもないことなんだけど、なんというか、そこに至るまでの彼女のつましい小屋での暮らしぶりや俯いて煙草を咥える姿を何回も何回も巻き戻して見たかった。この映画の白眉は犯行そのものじゃなくて、そんなことはどうでもよくて、ハンドルに手をかける前に彼女の人生はもう既に終わってたってことじゃないんでしょうか。常人の手に負えないほど加速した人は、なぜかくも美しいのでしょうか。私は、スクリーンが真っ暗になった後も、彼女がこちらを睨みつけているような気がしてならないのです。あらゆる理解や共感を拒絶して。

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