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一番辛かったこと「終」

あれから市役所を辞めて3年になる。
色々ありすぎたな…。
今でも、支援員のKさんは今も図々しく働いているんだろうな……。
本当は同僚のこと「元気かな…。」って思ってしまう…。
私のことあんな風に暴言とセクハラ発言を言った奴のことを私はどこかで「許してあげたい」その気持ちになってしまう…。
わかってる…わかっているんだけど…でも…一緒に入社をした同僚であって仲良く仕事をした…元支援員のIさんの愚痴を言ったり…励ましあったりした。
だからかな…「許してあげたい」って言う気持ちが強いのは…。
でも、許すつもりは一切ない。市役所の人たちが私に一生消えない傷をつけた。そのことは許すつもりは絶対にない。どんなに謝罪をされても私は許さない。
本当は、弁護士に依頼をして慰謝料を取れるだけ取りたかった。
でもそんなことしても時間がかかるだけだから辞めた。
精神的に辛いから。
市役所を辞めて一年後かな?
お母さんが私に「内職をやらない?」って言われたけど私は内職は考えていなかった。
でもお母さんが、私の気持ちと意見も聞かずに勝手に内職市場に電話をして強制的に内職をさせられた。
その前の日に「明日内職市場に行くからあんたも行きなさいよ!!」って一方的に言われた。
でも私は断ることができなかった。
プログラミングの勉強に集中したかったのにお母さんが「そんなのいつでもできるじゃん!!」って言われてさせてくれなかった。
お母さんもお父さんも「お金」のことしか考えていなかった。
私の気持ちに寄り添いもせずに…。
本当は「お金のことは気にしなくていいから今はとにかく体を休んでね」って言って欲しかった。
そうしたら、親のことを信じることができたかもしれない。
後、言おうかどうかを迷ったんだけど…2010年に私の住んでいる街の市役所で働いていた職員がパワハラで自殺をしたって聞いた…。
多分、市役所でパワハラをされていたんと思う…。
市長は「このようなことがないように改善する。」って。
でも、改善は全然してはくれなった。
市長は「口だけ」で改善する気はこれっぽちもなかった。
今も思うことがあるの…「同僚のUさんは元気にしているのかな」って。
暴言を言った人のことをそんな風に思うのはダメだよね💦
わかってるよこんな風に思うこともダメだってことも…。
でも時々考えてしまう自分がいるの。
それって「許す」ことになってしまうんかな……。
でも私は同僚と支援員のKさん、係長のことは許すつもりはない。
今更なんだけど、支援員のKさんと同僚のUさんが私のいない所でこんな風に言われた。
「佳那さんには職場のゴミをさせとけばいっかーーーーーw w w w」って。
その後に同僚が私に「支援員のKさんがあんたのこと「佳那さんには職場のゴミをさせとけばいっかーーーーーw w w w」って言ってたよーーーw w w」って笑いながら言われた。
もちろん私は苦笑いしか出来なかった。
市役所を辞めさせたのは多分、係長と支援員のKさんが二人でグルになって私のこと辞めさせたんじゃないかって思ってる。
後、支援員のKさんと私の叔父が猫とのトラブルが原因で…叔父の姪っ子である私に復讐とか腹いせに私を孤立させてやってもいないことをやったかのようにしたんだと思う。
後、係長が言ったんだと思う…支援員のKさんに「かなさんは叔父の姪っ子だよ」って。
なんでかな…支援員のKさんが飼っている猫と叔父のトラブルに私は関係がないのに……。
叔父に恨みでもあるのかな…。
だとしても、私は何にも関係がないのにね…。
もし、労働に詳しい弁護士が私のこの記事を全部読んでいる人が
いたら教えて欲しいです。
「これはパワハラになる」とか「脅迫になるよとか」「これは不当解雇に該当するよ」って教えて欲しい。
私は訴えることはしたくはない。
ただ、教えて欲しい。
でもね、弁護士に依頼したとしても…市役所は何にも教えてくれないと思う。
謝罪もしないと思う。パワハラとか口止めをしたこともいじめをしたことも認めないと思う。
私が感情的になって言ったところで市役所は隠すと思う。
私はあの時、怒ってもよかった…っていうか怒るべきだった。
でも怒れなっかた…。
勇気がなかったから。
あの時、支援員のKさんと同僚のUさんが私がいない所でこんなことを言っていた。「 佳那さんには印刷の仕事だけさせとけばいいっかw w w w」と言っていた。
私はトイレに行くふりをして聞いていたの。
後で同僚のUさんが私に「ねぇ、支援員のKさんがねあんたのこと「佳那さんには印刷の仕事だけさせとけばいいっかw w w w」って言ってたよ〜〜〜〜あんたは本当マイペースなんだからw w w」って。
もちろん私は「そうなんだ」くらいしか返す言葉が思いつかなかった。
同僚のUさんは変わった。前はこんな風に言うような人じゃなかった。
「人って変わるんだな」ってつくづく思う。
係長も優しくて、いい人で尊敬していたのに…。
相談できない環境を作らせるような係長ではないのに。
人を脅すような係長ではないのに。
障害者就労の担当の方も、前は相談にも乗ってくれて、仕事場の雰囲気をよくするために、動いてくれた方なのに…。あの時は相談も…話も聞いてくれなかった。人って欲が出ると変わる。力とか権力を持つと変わる。
私は変わってほしくはなかったな。
ありのままでいてほしかったな…。
今は、まだ仕事はちょっとしてはいない…。
市役所のことで「フラッシュバック」で眠れない時がある。
でも親は「障害者就労はどうするの!!」って…思い出したくないのに…忘れたいのに…。親がそうさせてくる。
思い出したら…眠れなくなってしまう。
辞めて欲しいな…。
今は、オンラインスクールに集中したいのにな…。
でも親が「仕事はどうするん💢」「スクール頑張るのはいいんだけど、前向きに仕事を探しなさい、やりたいことを見つけなさい。」って言われた。
前に私は親に「何回か延長をするかもしれないけど、いい?」って言って親は「全然大丈夫!そのためにお金を貯めたんだよ」って言ってくれたのに今は話がコロッと変えられたことにショックが隠しきれない。
私は、親の理想の子供じゃなかった…。
親の理想は「兄」だった。
私じゃなかった。
大阪から帰ってくる叔母とお母さんが「兄は優しい」「大きい買い物時はポンっとお金を出してくれる」と叔母とお母さんが2人で話してた。叔母とお母さんが私に「かなもお兄ちゃんを見習いなさい」と言われた。
そんなこと言われたって私は兄のようにはなれない…なりたくもない。
兄妹は全く別の生き物だから。
兄はたまたま親の理想通りになってくれただけ。
でも私はそうじゃない。
私は私なんだから。いくら「兄みたいに理想な社会人になれ」って言われても私は兄みたいにはなれない。
今、地元で仕事を探してはいるんだけど…市役所のことがあって「フラッシュバック」で眠れない時があって地元で仕事をするのはしんどい……。
私は、前向きに頑張ったらダメなんかな………。
やりたい仕事を実現したらダメなんかな………。
また兄が実家に帰ってきたら親は私に対して文句とか言われるかな………。
前に私ね、お母さんと兄の目の前で私の本当の気持ちを言ったらお母さんが「何よーーーーー💢今の聞いたお兄ちゃん?かなの発言どう思う?」って言われた。
兄は何も言わなかったんだけど、まぁ見て見ぬふりかな…。
今はもうちゃんと頑張れるものを見つけて頑張っている自分を褒めないとダメだよね!
親に褒めてもらえなくても別にいい。
私はやりたいことに頑張って勉強をやっているんだから。
この「一番辛かったこと」のシリーズはこれで終わりにするね!
自分の気持ちをブログに書くのってすごい時間がかかったな〜。
でも楽しかった!
「一番辛かったこと」のシリーズを読んでくださってありがとうございました!!












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