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「列王記」


「内容」

 列王記はダビデの治世晩年の記述から始まり、エルサレム陥落とさらにバビロン捕囚からのエホヤキン王釈放の短い記述で終わる。
 冒頭、アドニアは国内の有力者の支援を受けて父の王位を狙う。年老いたダビデはソロモンを王とする。ソロモンの治世の始まりは順調だった。権力を掌握したソロモンは、経験精神を発揮して紙に知恵を求める。神はこの願いを喜び、富と栄誉を与える。ソロモンがどのように統治し、国際的な評価を得たか説明している。ソロモンの初期の中心的な業績は、神殿の建設である。
 しかし、ソロモンは多くの外国人女性と結婚し、彼女らは彼の心を真の神から遠ざけた。また、ソロモンは北の諸部族を圧迫した。そのため、ソロモンの死後、北の諸部族は、ダビデ王朝に反旗を翻した。
 その後、物語の大部分はこれら二つの王国(北イスラエルと南ユダ)の歴史に費やされ、それぞれの王の統治を重複させながら、記述が行ったり来たりしている。南ユダは王国の霊的後継者として単独で生き残り、バビロンの征服、エルサレム陥落、エホヤキンの釈放まで歴史が記されている。

「著者と年代」

 列王記が最終的に構成された年代はバビロン捕囚の間、前562年から560年以降の時期であり、エホヤキンがバビロン捕囚から解放された頃である。
 執筆目的は、神の民がなぜ捕手で苦しんでいたかを説明することである。申命記の律法を基準にイスラエルの歴史を見ることで、目的が果たされている。著者は不明である。

「文学ジャンル」

 歴史物語

「福音書のつながり」

 列王記は新約聖書につながるテーマはたくさんがあるが、王権に関することが一番重要である。王政が終焉し、捕囚を経験しても、外国の支配下にあっても、神の恵みはダビデ子孫に注がれる。新約聖書は、同じ希望がローマの支配の時代にもイスラエルに生きていたことを示している。福音書の著者は、イエスが、ダビデの子孫であり、「ダビデの子」を正当に受け継いでいることに関心を寄せている。

「適用」

 列王記は、ソロモンと二つの王たちから神の目に悪い行いを行ったことで、例外なくさばきが下ることがわかります。神を忘れて偶像礼拝することがいかに悪い結果を呼ぶかよくわかります。数少ない、神の目から良い行いをした王の時は、祝福があることがほとんどです。
 現在における、偶像崇拝は神様以外の恋人や、仕事、お金、趣味、家族などに完全に依存して、神を忘れて生活することと思っているので、神様からの祝福を得るには、日々神様から見て良い行いをすることかと思っています。そうできるよう、永遠の存在である神を信頼生きていきます。
 日々変われるよう、祈っていく必要があると思います。

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