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「サムエル記」


「内容」

サムエルに焦点を当てるところから始まっている。(Ⅰ1~7)サムエルが、ナジル人としてハンナから生まれたことは将来の重要性を意味し。さばきつかさエリの息子との対比から、神に声に従順であったかわかる。
 イスラエルの王権の導入を見る。(Ⅰ8~12)サウルが王として選ばれるが、サムエルのことばに従わず勝手に油を注いだりして、神の声に従わなかった。(Ⅰ13~15)サウルが神と民を両方喜ばすことができないことがわかる。こうして神はサウルから、サムエルから油市注がれたダビデに目を向ける。ダビデはすぐに王にならず最初音楽家としてサウルに仕える。ゴリアテを倒すときは戦士となる。やがて、サウルはダビデに嫉妬を抱き、宮廷を追い出してしまう。ダビデは、サウルに追われる日々を過ごす。第1サムエル記の最後は、サウルの自殺で人生を終える。
 第2サムエル記の冒頭は親友のヨナタンの悲しみが強調されている。北イスラエルはサウルの子イシュ・ボシュテ、南ユダはダビデを王とした。イスラエルはアブネル、ユダはヨアブを司令官とした。北と南で戦争が勃発するが、北イスラエルの王と司令官の暗殺で、最終的に、ダビデは北イスラエルを手に入れる。
 次の数章は、重要な勝利と功績が記録されている。7章で、神とダビデの間に王権の契約が結ばれる。ダビデは神の心にかなった王となり、彼の子孫が王座につくことになる。
 入浴中のバテ・シェバを見て、ベットに誘い姦淫の罪を犯してから、絶好調だったダビデの人生は転落していく。ダビデが罪を隠そうと夫ウリアを戦場で殺したことが、預言者なタンに告発されて、ダビデは悔い改めて神との関係は回復したが、まだ罪の代償は終わらない。息子のアムノンは妹タマルを強姦し、弟アブサロムに殺される。アブサロムは父に対する反乱を起こして、父の退位に成功するが、ダビデは最終的に王としての地位に回復する。その後も内乱や内輪もめは続く。最後は物語を打ち切る付録(ダビデの賛歌、最後のことば、人口調査)で終わる。

「著者と年代」

 著者は不明である。列王記と同じ時期、補修の間に現在の形になった可能性が高く、今では編成がわからない形で構成している。

「文学ジャンル」

この書のほとんどの部分が歴史物語であるが。ハンナの祈りと、ダビデの歌の部分は詩文である。

「福音書のつながり」

 この書の最も重要なつながりはダビデ契約である。神はダビデに対して「あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ」(7:16)という約束がなされている。

「適用」

 教訓としては、人生が調子いい時にこそ、人は、油断や隙が生まれて、簡単に誘惑に負けたり、横柄なふるまいをして、取り返しのつかないことになってしまいます。また、社会的に上の地位や、成功者ほど、失敗をごまかそうとして権力を悪いことに利用することが繰り返されています。
「勝って兜の尾を締めよ」ということわざにあるように、わかっていても人は知らないうちに同じような過ちを繰り返してしまうので、常に神を忘れないよう、神との関係を保ち続ける必要があります。

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