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「宣教学⑤」

  私たちの宣教は、実際、全人的宣教というが、異なる次元を調和させるのは難しい。伝道に特化する働きと、奉仕に特化する働きに分離されていくのである。調和を目指す働きは、伝道の働きも奉仕の働きも重要な意義をもたらす。
 今まで、キリスト教の支援団体は、個々人の主導権と競争を促す自由市場開発モデルを自らのサイズに合わせ、文化脈化(その国・地域の文化に則して、現地に適応させること)し、自らの働きに適用してきた。
 経済開発モデルを変えるには、私たちの目的と具体的な戦略との霊的性質をより明確にする必要がある。


「どのような種類の介入か」

 あるべき介入のあり方を定義するためには、まず人間の状況を分析して診断を下すことが求められる。この課題について、コーテンは「貪欲と自己中心の支配がなくなるまで、人間の霊性は強められなければならない。」と述べている。
 アリストテレスは、人間は理性があり、社会的協力は理性的な友愛関係(フィリア)の上に成り立っていると主張する。しかし、旧約の預言者たちは、人間は責任を伴う契約で結ばれ、自己犠牲の愛(アガペー)により、理性的であると考えている。
 つまり、人間は精神―心理活動を行う肉体を持つ被造物であるが、同時に神から与えられた超越的な霊性を持つ存在である。
 ここで、宣教をについての霊的な性質について主流派教会と福音派の間に論争があった。前者は、すべての宗教には救済を完成する可能性があると考える宗教的多元主義であり、キリスト中心主義の視点と、人間の霊背に基準とるパターンがある考えを非難した。後者は、多元主義を拒否し、絶対的なキリスト教の主権を強調した。キリストt教的霊性のみが、真の神との関係を構築し、あるべキリスト教の霊性が教会形成につながると考えた。
 宣教においても支援においての、教会活動組織は必要に応じてアガペー的介入を遂行するべきである。神の継続的な働きと、キリストの霊の存在と力を通して教会は介入的働きを続けるのである。

「霊性の定義」

 霊性は、「神のかたち」に創造された人間の全体性である。人間は霊性の動物である。ワーズワースが私たちの霊性について3つの提案をしている。1 神の子、創造者のかたちとして自己理解と他者理解
2 人生の超越的次元や倫理的次元に可能性を開く、人間の人格的資質
3 避けられない肉体的死をも超える何かへの直観
4 人間同士の結びつき(コイノニア)における高い自己理解と人間性の意味への自覚
霊性は、個々人の人間の次元も、社会としての人間の次元、超越的次元を持つ。また、神との関係と人間との関係をもたらす次元も持っている。
神のかたちの奥に存在する自己理解において現れ、動機付けをし、文化を作り出す前提や正当性を根拠付けするのである。
 人間の問題は基本的に霊的な事柄であり、すべての次元にかかわり、霊性は全人類的にとらえるべきである。
 私たちの宣教の目標と戦略は、全人的人間へのアプローチの目標を阻止し、打ち負かす文化的要素への対応でもある。

「求められる変化」

 宣教において、幅広い開発をするのにどうすればいいか?それは、神の支配を歴史において前もって伝える印及び証しとなることである。ここでの目標は、相互扶助に基づく共同体、シャロームを基調とする正義の共同体を作ることである。このような働きは、個々人に動機づけを与え実際に津からづけるだけでなく、社会に正しい構造変化をもたらすまさに、「霊的」な働きである。
 一つの文化に馴染めないうちは、その文化の習慣を軽視したり、侮辱してしまう危険性があることを自覚しておく必要がある。
 より具体的な議論をするために、全人的変化に必要な社会的ー人格的変化について5つの提案をしたい。
1 個々人がこれまでのような暴力や自己利益の追求を基調とした私生活から解放され、そのようなあり方から転換しなければならない。
2 人々を抑制し、希望を奪ってしまう運命的伝統は取り除かなければならない。
3 奴隷を想像し維持する抑圧的で共依存的な階層社会構造は、廃棄されなければならない。
4 伝統的文化に対する近代化の影響を考えなければならない
 私たちは西洋的方法論を伝統的な地方文化に押し付けてきた。
5 人間生活の質の向上をもたらす、相互に適用可能な技術の開発が求められる。
 イエスの宣教自体が変革のパラダイムをもたらし、新しい文化的なシステムをもたらしたのである。
 霊的改革は、キリストの霊が私たちを押し出すことのみによって可能である。神を愛することは、物質・肉体・社会・霊という人間の生のすべての要素にかかわるのである。
 

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