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WD#105 重圧劇団

きたる6月4、5日に文化祭があるらしい。思えば文化祭って変な名前だ。ダンボールを引きずってその上にボウリングのピンを乗せて倒すゲームのどこに「文化」があるのかわからないが、まあ多分、本質はそこにはないんだろう。とにかくみんなが楽しいことをする、そういうイベントだ。何気に学校活動の中では最も自由度が高い。

1年2年での文化祭も日記に残したが、ついにラストの文化祭になってしまった。もう文化祭について書くことはないんだなあ、となんとなく感慨深い気持ちになる。

さて、そんな3年の文化祭で何をするのかと言うと、「」である。一律でそう決まっている。脚本から演出まで、全て生徒が手がける劇。とうとうその出番が来たというわけだ。

しかし、ここで問題が出てくるのは皆さんも察しがつくと思う。それは、クラス替えから劇披露までの時間が全然ない(2ヶ月しかない)ということだ。新しい環境に身を投じたかと思えばもう劇のことを考えなくてはならない。つまりめちゃくちゃ忙しい。

ということは、我々GSはその点、かなり有利ということもわかるだろう。なにしろ我々のクラスは3年間クラスが変わらないので、前々から準備ができるのだ。

そういうわけで、先代のGSは多分毎年1番優秀な成績を収めている。まあ、そりゃそうだ。時間があるから。

そして、ついに我々のターンが巡ってきた。

ここで、時間は2年前の12月に戻る。




化学部のひとつ上のある先輩は、私と同じGSの人で、そして劇の脚本を担当していた。

先輩は文化祭の前の年の12月から、化学室でたまに紙を広げていたので、何してるのかなーと思い覗くと、それは劇の脚本だった。

どうやら、今までのGSの人たちもこの辺りから劇に取り掛かっていたらしく、そう言いながら指さしたのは、黄色い分厚いファイル。中身は過去のGSの人たちが残した脚本や資料で、ジャンプくらいあった。

その時の私は「結構早いんすねー」くらいのノリで流した。

そして去年11月。ちょうど化学部に行かなくなってきた頃に、そのことをふと思い出した。「そういえば、去年はもう脚本作ってたよな…」と何となく。

ただ、何もない状態から脚本なんて作れない。そのため、私はまず原作小説を作るべきだと考え、その制作を内々に開始した。小説なら過去にいくつか書いたことがある。まだ新しいやつを作ればいいんだ、と考えていた。

それがなんとか形になってたのは、翌年2月(つまり今年の2月)くらいのこと。思いの外、時間がかかってしまった。

さて、ここからが課題。これを同じクラスの人たちに見てもらわなければならない。そりゃそうだ。当たり前だ。

ただ、正直な話、私は自分で書いた文章を、あんまり人に見られたくない。

いやいやお前、こんなもん書いておいてそんなこと言うなよ。と思ってるそこのあなた。いや、そうなんだよ。あなたが思ってることは何も間違っていない。

でも、これはワケが違う。私は「自分の文を審査される」のがすごく嫌だ。作文の添削みたいな感じで、自分で考えて作った文書に介入されたくない。自分が「こうしたい」と思って作った文章を他人からアレコレ言われると、なんかその「自分の文章」が「相手の文章」になる気がして、それがすごく嫌だとずっと思っている。

だから、ただ見てもらうだけの日記は平気で、むしろバンバン出していきたい。好き勝手にできるから。

まあでも、そんなことは言ってられない。ということで、まずInstagramを使って、同じクラスの人たちを「親しい友人」に登録し、そこで下書きのURLを貼って反応を見た(Instagramをやってるのは全員なわけないので、まず少人数で反応が確認したかった)。

なかなか高評価だった。よしよし。

次に、Instagramはやってないが色々相談相手になってくれる友人にそれを送りつけ、「オチをちょっと変えた方がいい」とアドバイスをもらい、それに従って修正した。

そしていよいよ、クラスLINEにそれを流した。あの時の緊張は忘れない。ひとつ、またひとつと既読がついて行くが、その既読だけでリアクションはわからない。ただ、「見た」という事実だけが堆積していく。私はソワソワして居ても立ってもいられなくなったが、とりあえず寝て、また起きたらどんなもんかみようと思った。

なお、私だけが作ったストーリーだとなんかみんなが意見しづらくなる気がしたので、下書きと同時に意見を書いてもらうアンケートフォームを作成し、バンバン意見要望を募った。

翌朝確認すると、めっちゃみんな意見してくれていた。そして、結構みんな肯定的な意見も送ってくれたのですごくホッとした。

何でこんなソワソワしなきゃいけないんだ…と思ったりもしたが、結果としてみんな至極真っ当な意見を送ってくれた。自分の主観でしか見てこなかった文書だから、初めて客観に晒すことで見えてなかった部分もかなり見えるようになる。やっぱり他人の意見は大事だ。

こうなると話は早い。文化委員の方がその原案小説を脚本に起こしてくれた。そして私は当然の流れで総合監督を担うことになった。

そして、今に至る。これが現状と、そこに至るまでの流れである。

次に、現在の今の私の感情を、ある程度説明しておきたい。それが何かの救済になるのかと言われたら、そうとは言い切れない。ただ、何となく今の感情を文章に起こすことで、私がスッキリする気がする。だから、少し聞いてください。





今までも何個か小説を書いてみたことがあるし、日記も含めるなら105週間書いてる。じゃあ「何のために書いてるの?」の聞かれたら、それは「評価してほしいから」だ。

(もちろん、書いてて楽しいから、というのもある。特に日記じゃない記事とかは、企画段階から「こうしたら良さそうだな…」みたいなことを考えてる時点で楽しい。その結果現在は企画だけ溜まってきてそれをやる時間がないという状態で、メモのところに企画案が20個くらい残っている。少しずつここから消費していく予定だが、その分増える気もするので怖い。)

noteに文章を投稿して「スキ」を稼ぐ、あるいはそのリンクをインスタに貼って「いいね」を稼ぐ。いや、稼ぐという言い方は良くないな。貰う。そうした評価を貰うことで悦楽に浸りたいというただその一心なのだ。

今回私がこっそりと劇の脚本に手をつけたのも、正直なところを言えば「すごいねー」と言って欲しかったからだし、そのためにアンケートフォームまで作ったと言っても過言ではない。こういう評価の喜びを知ったがために、手段を選ばなくなってしまった。

しかし、徐々に劇の打ち合わせが進み、文字だけだった物語が3次元的な具体性を帯びるにつれて、そういうノリで劇の脚本という創作物に手を出したことを少しずつ後悔し始めている。

まず、時間がなさすぎる。まだ舞台芸術もひとつもできてないし、セリフを覚えたのかどうかも分からない。なのに、もう2週間くらいで本番を迎えてしまう。こんなにタイトなスケジュールだということに全然気づいてなかった。総合監督ともあろう者が、あるまじきことである。

そして、それだけならまだしも、もうひとつ重要な要素がある。それが「プレッシャー」だ。本当はもっともっと心に重くのしかかる、「歴史的重圧」と言った方がいい。

この文章の冒頭あたりで言ったことを覚えているだろうか。そう、「先代のGSの人たちはみんな1番優秀な成績を残している」のだ。

「みんな」という言葉が怖いというのは極めて日本人的である。大人数が考えていることが自然とその場のルールになり、少数派はその圧力によって張られたバリケードの外に追いやられる。民主主義の檻だ。なんとなく、多数派にいた方が安心した人生を送れると思ってしまう。挑戦する意欲を喪失したもはや自我の有無さえもわからない中途半端な生活習慣のサイクルを回すだけの肉片と成り果てているのが現代の日本人だ。

しかし今回の「みんな」のニュアンスは、同一時間での多数派ではなく、歴史的連続性の継続を意味している。何というか、まず自分が「みんな」の中に組み込まれ、それから「みんな」がやってきたことを引き続き行う責任を持つことになるシステムみたいな感じ。

要するに、民主主義的な「みんな」は、どんどんその場に一定の立場が増えて行く「鬼ごっこ(ルールによるけど)」のようなニュアンスで、連続的な「みんな」は、それを行う人間が次々入れ替わる「リレー」のようなニュアンスだと思っていただければいい。

すなわちここまで私は「バトンが回ってきた」というたった9文字で済むことを変に展開して書いたということだ。許してよ。なんかこういうのが書きたくなるタイミングがあるんだよ。

周囲の評価を得たいという単純な心で開始した脚本制作兼監督は、いつのまにか過去の先輩たちのバトンを受け取ることにつながってしまったのだ。そのバトンはそんなに軽いものではない。なぜならそれを次に渡せるのは“当然”だからだ(理由は冒頭に書いてある)。

もっと余裕をもってスケジューリングしてたらこんなにプレッシャーに押しつぶされそうになることにはなってなかったかもしれない。しかし現状はただただ「焦燥」と「重圧」に常に付き纏われ、かといってすぐに起こせるアクションも、練習するのに十分な時間もないためその現状を打破する術がないという状態。

こうして悩んでいると、どうしても「責任」という言葉が頭の中を漂うようになる。一応私は成り行きで総合監督になったが、一体どこまで責任を負うんだろうか?そもそも責任を負う必要はないのだろうか?じゃあその私が負わなかった責任はどこへ行くのか?自分で考え、構築した話に、自分以外の誰が責任を持つと言うのか?

責任は持つものというイメージがあるが、私は責任という名の塔が地平にそびえ立っているイメージを持っている。そして、その塔に1番近い場所にいる人が責任を負うというシステム。

つまり、私は周りの人たちと比べて責任の塔のめちゃくちゃ近くにいる。そのため逃げようと思えば責任は追ってこないので責任逃れをすることは可能ではあるものの、ある程度逃げても、周りと比べたらまだ私が塔に1番近い存在になっていて、結局逃れられないというパターンもあり、それがほとんどだったりする。

今回のケースもそうだ。私は責任の塔に近いどころか、その塔自体を建設してしまったようなものなのだから、少し遠くに行ったって他の人たちには到底及ばない。だから、結構辛い。

ただ、そもそもの話として、責任の話をする必要があるのか、というのは皆さんも考えると思う。確かに、別に失敗しちゃっても、まあしょうがないよね、時間なかったもんね、で済ませることはできるし、そうした方が気持ちが楽なのももちろん分かっている。

しかし、表でそう振る舞っても、その裏には、今までの歴史的な連続(それを伝統とか言ったりする)を途切れさせたという確固たる事実が貼り付いている。それはどうやっても消すことはできない。なぜなら事実だからだ。

しかもプラスアルファ、修学旅行で劇を1回やって失敗に終わっているので、そのことも多少なりとも脳裏をよぎる(でも今回はその反省を活かして構成を工夫しているので多分同じような惨劇にはならないと予想している)。

劇を失敗したとき、私はハッキリと「巻き込んでしまった」という責任を感じた。その時も全部ではないけど脚本作成を噛んでいたので。一度失敗の感覚を味わっていると、次に成功するというシュミレーションができないかわりに、失敗した時の情景がありありと浮かび上がってくる。

だからこそ本当に本当に、今回は失敗したくないんです。まあ今回の内容だと、修学旅行みたいなタイプの失敗は確実にしないんだけど、また違うベクトルの失敗の可能性は余裕で残されている。





というのが現在の心情である。とりあえず心中穏やかでないというのは分かっていただけただろうか。

改めて見返すと、少し冷静になった今「何でこんなこと書いたんだろう」という気持ちも少し湧き上がってくるが、別にいいや、と思っている。嘘を書いたわけではない。個人的にかなり複雑な心境だったので、その整理ができて結果的には良かった。

ただ、結構重い書き方をしてしまったけど、別に気がおかしくなるくらい悩まされてるわけではないので、そんなに心配もしないでほしい。え、心配してない?ああそう。それならそれでいいのよ。





最後に、一応この話を足しておく。

脚本として完成した数日後、塾に行って帰る途中で両親から連絡があり、「駅の近くでご飯を食べてるから来なさい」という旨だったので、制服のままだったが指定された店に行った。居酒屋だった。尚更制服が浮く。

ずっと勉強で疲れてたこともあり、その場では親といろんな話をした。そしてその中で、今作ってる劇の内容の話もした。すると両親はその内容をめちゃくちゃ褒めてくれて、「自分の息子がこんなモノを作れるなんて嬉しい」などと言ってくれた。まあアルコールを入ってたしそこそこオーバーだったけど、とても嬉しかった。

両親はいつも私のやること、やろうとしていることを全面的に応援してくれる。たまにそれがちょっとだけプレッシャーになることもあるが、毎回活力になっている。劇の話をした時も、その時点では自信なんてさらさらなくて、不安しかなかったが、両親にそう言ってもらえて少し前向きになることができた。

当たり前のことだが、自分以外は自分に自信を持てない。総合監督たる人間がそんなに弱気でどうする、という気持ちも増してきている。

ヒロアカ4期の文化祭編を観た。やっぱり最高だった。耳郎がいい。舞台に立つ人たちがみんな輝いてて、重ね合わせるのも変な話なんだけど、心の奥底で「これくらい上手くできたらいいなあ」と思った。どうせやるなら、誤差で勝つんじゃなくて、オーバーキルしたい。屍にさえもライフルを連射したい。「ありゃあ勝つのは無理だよ」と言わせたい。そういうマインドになってきた。




ということで、本番はもうあっという間にやってくるけど、なるべく全力で作り上げて、周りをオーバーキルする予定なので、ご協力の方、よろしくお願いします。ここからはマジで協力だと思うよ。1人で賄えるターンなんてとっくに終わっている。

ちなみに劇の原案小説は、文化祭が終わり次第公開しようと思っているので、お楽しみに。






【今週の来てないお悩み相談】

球技大会の球技考えてる人って、球技4つくらいしか知らないんですかね?

私もそう思う。

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