WD#83 物干し竿と右と左
先日、洗濯物を取り込もうとしたらいつもより物干し竿が高くなってて、ちょっと背伸びしないと洗濯物を取れなかった。そういや前に改修工事があったし、多分その時に高さが変わっちゃったんだろう。
でも、いつも普通に手の届いていた範囲に急に手が届かなくなるという体験がかなり妙だった。それはまるで、自分がもっと子供の頃に戻ってしまった感じ。物干し竿が高くなったんじゃなくて、自分の背が縮んだのだとしたら。そんな訳ないけど、完全に否定もできないんじゃないかな。
もし自分の成長に合わせて、家族や家、大きくいえば世界が同じ比率になるように大きくなるとしたら、自分は自分の成長に気づけるのだろうか。もちろん精神的な成長は置いといて、外側から観察できる事象のみで判断する場合である。まあでも、成長というのは自分の背丈だけで判断するものじゃないからな。難しいところだけど。
要するに、私たちは相対と絶対の中に生きているということを改めて感じたのだ。昔は手の届かなかった物干し竿に今になって手が届いたというのは、物干し竿が動かない“絶対”で、自分自身が変化することで“絶対”との関係を“相対”的に捉えたということになる。
こういうことは世の中にも溢れている。例えば、私たちは地球上に立っているので、相対的に見ると地球の運動の速度は0である。じゃあなぜ地球がまわっていることがわかるのかと言うと、太陽という“絶対”との関係があるからで、動かない太陽が動いて見えるということは相対的に私たちが動いているのだ、という思考が根幹にある。
天動説と地動説も、この「太陽を“絶対”にする」という点が分岐させているのである。
私が好きな作家の森博嗣さん(『すべてがFになる』などを書いた人)の作品にも、相対的な見方というのがカギになる話がある。まあそれについて詳しく言っちゃうとネタバレなので言わないが、ストーリーには特に関係ない部分でかなり面白い内容があったので、少し紹介しようと思う。
それは、「なぜ鏡にうつると右と左が逆になり、上下は逆にならないのか」という未だに明瞭な答えが出ていない問に対する考え方だった。なお、これは推理小説なので主人公のセリフにそのような内容があった。
ズバリ、その答えは「左右の定義だけがすごく相対的だから」というのだ。どゆこと?
例えば上下は、空が上、地面が下というように絶対的な定義をすることができる。例え逆立ちをしたとしても、世界の上下は変わることはない。上下にはそれを決定できる基準がある。
東西南北だって、北極を指すほうが北、南極を指すほうが南というように基準がある。
それに比べて、左右に基準なんてあるだろうか?仮に、私たちの手が右手だけハサミを持っていたとしたら、「ハサミを持っている方が右」というような基準を持った絶対的定義ができる。しかし、生憎私たちの手は左右対称であり、私たちがどの方向を向いているかによって左右はいくらでも変わる。これが、鏡で左右が入れ替わる原因だと言うのだ。
こちら側の世界と鏡の向こうの世界では、自分が向いている方向がそもそも真逆である。つまり左右の定義そのものが現世と鏡で異なっているため、“我々の認識の中で”左右が反転して見えるというわけらしい。
わかる。かなり難しいこと言ってるのはわかる。ちなみにハサミの例えも本の中にありました。もうちょっと頑張ってみて下さい。
まとめると、左右だけ上下や東西南北と異なり判断材料が絶対的でないため、鏡に映ったものを見ると左右だけ反転したように認識してしまう、という感じ。というかそもそも、“絶対”という言葉の意味が「比較を超越しているさま」なので、鏡に映ろうが映らまいが、絶対的な定義は揺るがない。
もうちょっと実例を出してみる。先ほど右手だけハサミだったら定義が絶対的になると言ったが、もしそうなら鏡に映っても左右が反転しないはずである。本当にそうか考えてみよう。
右手だけハサミの人が鏡に映ると、鏡の中の世界では、その人の左手がハサミになっているように見える。もしハサミがないならそれを「左手である」と認識してしまい左右反転が起こるが、ハサミを持っている場合は、それが左手になっていようが、とにかく「ハサミがある方が右」なので、鏡の中でもそれは右手になる。ほら、反転してないでしょ?
この例で、絶対的な定義がどれほど強力かわかってもらえただろう。そして、左右という定義がどれほどグラグラで安定しないものなのかということも同時にわかっていただけたと思う。
まあかなりわかりにくい表現だったと思うので、気になる方は森博嗣先生の『笑わない数学者』という本を読んでください。かなり面白いですよー。
そして最初の話に戻ると、「背が伸びた」という成長の定義はかなり相対的で、グラグラである。自分が大きくなったのではなく、物干し竿が下がってきてるのだとしたら。そしてその物干し竿の変化に伴い、世界全体が小さくなっているのだとしたら。
あり得ない話だが、相対的な視点で成長を捉えている私たちにとって、この可能性は否定できないんじゃないかな、と私は思う。もちろん、絶対的な成長の定義があるなら別だし、多分ある。だけど、こういうことを少しだけでも考えてみるのって楽しいよね、というお話でした。
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