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「傷を愛せない自分」を愛してみたい

お気に入りの本屋さんで『傷を愛せるか』という素敵なエッセイに出会った。トラウマ研究の第一人者である宮地尚子さんが綴る言葉は、帯の文言にもあるように深く沁みとおる。

精神科医として、働く女性として、母として娘として、宮地さんの思いや考えがとても丁寧に綴られていて、今後の人生で何度も読み返したい一冊である。

「傷つけたり、傷ついたり」を訓練し続ける

私は自分の気持ちを抑えたり、人との距離を保ったりを適切にできていないときがある。誰かと時間を共にした後「あの言動は間違っていたのではないか?」と後悔する。大人なのにまた感情をあらわにしてしまったと悩むことも多い。

きっとそれは、泳ぎ方が下手なだけなんだと分かった。水泳と一緒で、身体を少しずつ水に慣らし、恐怖を和らげていくしかないのだと思う。それには、たくさん人と関わり、傷ついて苦しむを繰り返すしかないのかもしれない。苦手だからと言って、避けたり閉じこもっていては上手くなるものも上手くならない。

自分を守ったり、人との距離を保ったり、自分の気持ちを抑えたり、独りでいたり。簡単にできる人もいればできな人もいる。失敗して溺れそうな気持になっても、訓練をやめないで少しずつ強くなっていくことが大切なんだと思う。

心身の傷を愛するために

昔から、要領が悪い方だと自覚している。それでも負けず嫌いで頑張ってしまうタイプだ。いろんな人の期待に応えたい、いい人でありたい、できる人になりたいと過労気味だった。

しかし、大病を経て「頑張れば報われる」ことを疑い、「よい人」であることをやめようとした。「仕事に殺されたくない」と何かにつけて主張するようになった。けれども、それはすごく寂しいことだということにも気づいた。傷とどう向き合えばよいのか、この2年間戸惑い続けていた。

傷がそこにあるのを認め、受け入れ、傷の周りをそっとなぞること。身体全体をいたわること。ひきつれや瘢痕を抱え、包むこと。さらなる傷を負わないよう、手当てをし、好奇の目からは隠し、それでも恥じないこと。傷とともにその後を生き続けること。

『傷を愛せるか』<P224>

傷を受け入れるのには時間がかかるが、少しずつ馴染んできている感覚はある。今後の人生、傷を包み込みながら私なりに強く歩みたい。

人生は最後にならないとわからない

今心身ともにすごくつらい目に遭っていたとしても、何が近道で何が遠回りかはわからない。仕事や身体のことで苦労してきたことが、いずれ何かに結びついて、行きたい方向に収束していくかもしれないから。

人生の軌跡を長い目で見れば、ジグザグのように見えて一直線の場合もあり、まったく迷わず進んできたはずなのに大きく湾曲していることもある。
寄り道のつもりだったのが案外近道だったり、最短距離だと思って選んだ道が行き止まりになってしまうこともある。何が近道でなにが遠回りなのかは、人生の最後になってみないとわからないのだろう。きっと。

空は広く、道はない。紆余曲折。試行錯誤。なんでもいい。それでも行きたいと思っていた方向にいつか人生は収束していくのだと、どこかで深く信じていたい。

『傷を愛せるか』<P165>

昔受けた傷も今抱えている傷も、最終的に「この傷のおかげでこうなれた」と思える日が来るかもしれない。心の底から堂々とそう思えるようになる日が来ると信じ、休んだりさぼったりしながらも日々着実に歩みたいと思う。

このエッセイに出会えた奇跡に感謝。

傷を愛せない私を、あなたを、愛してみたい。
傷を愛せないあなたを、わたしを、愛してみたい

『傷をあいせるか』<P227>

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