派遣録76 闘病記⑤ 幻覚と白い天井
“変わった”世界
「すずきさーん…」
どこかで俺を呼ぶ声がした。
「すずきさーん」
…誰だ? まだ眠いなあ…。
「すずきさーん、手術、終わりましたよー」
…ん、手術?
「起きて下さいねー」
手術が終わり、俺は麻酔から目が覚めた。
(…生きていた…)
松山医師(仮名)から命の保証(“危なくなったら”手術は止めるよ…)と聞かされていたが、開頭手術なので、さすがに怖かった。
だが、俺は生きていた。良かった。
俺は目を開けて、起こしてくれた太った看護婦に話していた。
「―&‥〇@*|&ござ…!?」
言葉がおかしかった。驚いた。
俺は「おはようございます…」と言ったつもりが発した言葉が言葉にならなかった。
(…あれ、これ?)
それは手術前に松山医師から聞かされていた。
俺の頭に出来た腫瘍は予想外に大きく、ステージ2という状況から、癒着が考えられる。
開頭手術には相当の出血🩸が考えられ、また様々な脳神経に影響が出る可能性を示していた。
まずは声が失われる可能性。
次は、視野の狭窄…特に右側の視野が欠損する。
さらには、右側の視野に映るものが肥大化したり、幻覚が見えるようになる、という事だった。それは後頭部の左側、視覚神経の近くの腫瘍を除去すると、頭の中で視覚神経が交差するので、右側の視野に影響が出るらしい。
その通りだった。
言葉は不明瞭になり、視野は欠けて細くなった。
聞いてはいたが、実際にそうなると俺の見る“世界”は変わっていた。
何より、手術した後頭部が熱く、頭の中がボーッとなり、セミが鳴いていた。それは猛烈な耳鳴りだった。
そのままICUにいると、松山医師が来た。
『おはようございます』と言ったつもりが、やはり言葉にならなかった。
「…ごめんね、鈴木君。出血🩸が多くて、腫瘍、全部取れなかったよ💦」
松山医師は開口一番、俺にそう謝った。
俺の頭の中にできた腫瘍は巨大で、一回の手術では除去し切れなかったのだ。
これも事前に聞いていたから、俺は驚かなかった。
だが、“変わってしまった”世界に驚いた。
幻覚
俺は看護婦から日付を聞いて驚いた。
既に3/30だった。
俺が手術室に入ったのが28日。丸一日の記憶がなかった。今も無い(当たり前か?)
松山医師の話では、俺の腫瘍からの出血🩸はかなり酷く、抑えるだけで数時間を擁したらしい。用意していた俺の血液は1600cc。それは使いきり、俺の出血量は2000ccを越えたらしい。
人間の出血量は1000cc(1L)を越えると危ない。もちろん血液を循環させ、俺の身体に戻していたが、それが追い付かないほど、俺の腫瘍から血が出たらしい。
後から聞いたが、手術室から出てきた俺をみて、両親は「…死んだ」と思ったらしい。
そりゃそうだ。
俺の頭は出血で一回り腫れ上がり、もちろん意識もなかった。
松山医師は言わなかったが、少しヤバかったのではなかったのか、と俺は思う。
言葉が出ない。
というか、出ていたが“言葉”ではなく、“呻き声”だった。不明瞭で呂律が回ってなかった。
右側の視野も丸々無かった。
俺の見る世界は随分と“狭く”なった。
この後、視野は回復しだし、言葉は理学療法で戻りだす。(言葉は100%まで戻らす…)
それよりも困ったのは、幻覚だ。
視野の右側にあるものが、全て大きく見えた。ベッドの横にある維持装置や点滴の棒が巨大な壁や柱に見えて、当初、(何故、ここにこんなものが?)と思った。
で、よく見ると、普通のサイズになった。
視界の右側に有名人や家族が“見えた”。
(…え?)と思うと、それは消えた。幻覚だった。
これは手術後、暫く続いた。
退院後、道を歩いていると、電柱が巨大な柱に見えたり、向こうから人が来て避けると、それは幻覚だった。とあるミュージシャンが“右側”に現れ、注目すると“消えた”。それも幻覚だ。
(テレビで観ていた有名人が、小さくなって目の前に現れたりした…)
まるで、マンガやドラマのようだが、本当にそんな幻覚を見ていた。
白い天井
ICUから病棟に移ったが、そこはナースステーションに近い個室だった。
それだけ危ない状況だったのかな?
相変わらず、身体は動かなかった。
頭はまだ熱く、呆然としていた。
頭部にはまた腫瘍があり、俺の頭の骨を抜いて、管が出され、脳室に溜まった水(脳髄液)を流していた。
ベッドに縛り付けられ、身体中から管が出ていた。安静状態を保ったまま。
長時間の手術で俺のバランス感覚(三半規管?)は狂い、寝ていても、何故か立っている感覚があった。(ベッドは壁に寄りかかっているような感じ)
後頭部には大きな“窪み”(手術跡)が残り、傷口はまだ腫れ上がり、常に氷嚢を敷き、少し動かすと吐いた。(これは暫く続いた)
手術で、頭の嘔吐中枢部が刺激され、俺は頭を動かすとすぐに吐瀉した。
身体は動けないので、一日中、頭を動かさず仰向けで寝ていた。上ばかりを見ていた。
頭も呆然としていたが、意識はあった。身体は動かせないが、一週間もしたら寝ている事に“飽きて”いた。
俺は個室の“白い天井”ばかり見ていた。
一日は長かった。
早朝(午前5時)に目が覚め、夜は8時に寝た(…というか、無理矢理眼を瞑った)
部屋にテレビはあったか、見られない(身体を起こせないので…)ので、付けて、音声だけ聴いた。
そして、ろくに寝られず、早朝になると、ぼんやりと思っていた事があった。
命はあった。死にかけたが、まだ生きていた。
だが、この日々は何だ?
一日中、天井だけを見つめる日々。
白い天井を眺め、少しでも頭を動かすと、ゲーと吐いた🤮
(俺の人生、これで“終わった”のか?)
そう思えてしまった。
これが今後の俺の人生か? こうしてずっと仰向けで寝るだけ、“天井”を見つめるだけの人生か?
(…俺、“生きて”んのか、これ?)
“生きる”という事にはいろんな定義や捉え方がある。
脳腫瘍で死にかけた俺は、そうして生仰向けで生きているだけで、そうなのかもしれない。
だが、つい2ヶ月前まで年金事務所で忙しく働き、その前は日雇い派遣で毎日忙しく働いていた。
それが、今は頭から管を出し、ベッドから降りられず、白い天井ばかり見ている。
これが“生きている”と言えるのか?
俺は今も、この“白い天井”を思い出す。
この後も嫌なことや、嫌な人間に会ってきた。嫌な想いも散々した。
そんな時、いつもこの“白い天井”を思い出す。
一日中、ひたすら天井だけを眺めて過ごす日々…。
“あんな日々よりはマシ”だ。
怒られたり、馬鹿にされたり、腹が立つ事は多い。多いが、何もせずに“白い天井”だけを見つめていた、あの日々よりはマシだ。
いつもそう思っていきていた。
飯は食べられず、身体は急速に衰えていた。
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