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ポジショントークに思いを馳せる

Xにイチロー選手の素晴らしい名言が流れてきた。

「ピンチはチャンスというけれど、その瞬間にはそんなメンタルに全然なれない。そんなに僕は強くない。ただ、後から、”あのピンチはチャンスだった”と思えることは沢山あった。」

素直にとても良いメッセージと感じた。

イチロー選手でもそうなんだ”、という共感もあるし、そんな中でも結果を出してきた理由もよくわかるとても説得力のあるメッセージである。
一生懸命にメモを取る高呼球児の気持ちがよくわかる。

言っている内容は極めてシンプルで、大きな発想の転換というわけでもない。

ただ、イチロー選手という「努力を継続して積み上げ、最も成功したスポーツ選手の一人」の口から語られるこの言葉にパワーがあるのだ。

その辺のおじさんが突然高校生を捕まえて、

「あのね、ピンチはチャンスと言うけれど…」

などと言ったところで、誰一人として聞く者はいない。

"誰が言っているのか"、これは極めて大事なことである。

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一方で、発信者の在り方や立場に関連した言葉で「ポジショントーク」という言葉がある。一般にネガティブな言葉として使われることが多い。
wikipediaではこのように記述されている。

・ポジショントーク
自分の所属する
組織や部署に有利な情報しか話さないこと。自分にとって有利になることばかり恣意的に選んで話し、自分に都合が悪いことは話さず黙っているようなトーク(語り方)。

wikipedia

「その発言によって発言者が有利になる。」この辺りがマイナスな印象をもつ根拠であろう。
たしかに、公正で一切のポジショントークをしない人のほうが誠実に見える。

しかしながら、大の大人達が職場で決め事をする際に、ポジショントークなしはあり得ない。それぞれが自分のポジションを背負ってプロとして意見を交わすことが当たり前だからである。

それは医者という「職人」の仕事でもそれは同じだ。

例えば、こんなケースだ。

ある高齢者が癌で入院している。
内科は内科でできる範囲の薬剤治療に限界を感じており、外科に手術をしてほしい。外科としては手術はできなくもないが、マンパワー的にかなりの負担になるため少々迷っている。一方で手術の麻酔を担当する麻酔科は高齢者でリスクが高いため、消極的だ。また術前検査で心臓が悪いことが新たに発覚し、循環器からは手術をするのであれば先に心臓を直した方良いのでは?と提言されている。

内科、外科、麻酔科、循環器科、それぞれの医者が自分のポジションに責任を持って関わっている。
医学の専門性の棲み分けの話だけでなく、主治医としての矜持や、科としてのメンツや責任の所在など様々な要素が複雑に絡み合った上で、ポジショントークが繰り広げられている。

これは病院の日常である。

「患者を治す」という共通のゴールを目指していてもそこにポジショントークは存在するのだ。
目的自体が競合することもあるビジネスの世界ではポジショントークは必発であろう。そもそも話し合い自体が互いにポジションを守るための戦いであるケースだってあるはずだ。

ポジショントークは社会で生き残るために必要なスキルであり、それを自信を持ってできるということは、一人前の証拠なのである。

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ポジショントークをするには、「誰が言っているのか」ということがとても大きな意味を持つ。
つまり自身のポジションやスタンスをしっかりと確立させる必要がある。

会社の勤め人で言えば、役職経験が重要であろう。

背負っている部下や仲間が多ければそれだけ裁量と責任が生じるため、発言にも力が出る。

過去の経験があればその結果を踏まえ、考察したうえで、”一度経験している”を武器に、強いポジショントークを繰り出せる。

では個人ではどうか?

会社の看板はないため、自分ひとりの力でポジションを勝ち取り、確立する必要がある。

ポジションのない一個人の発言はそれこそこの世のだれにも届かない。

顔出ししていないSNSではさらにシビアにポジションの確立を求められる。

所属や年齢も不明、顔も名前もわからない。プロフィール画面の数行の自己紹介についても本当かどうかすら判断できない。

そんな世界では、「その人が積み上げたもの」と「その結果」でしか、その人自身を判断できない。

「誰が言っているか」の「だれ」の部分を自分自身で作り上げていく必要があるのだ。

フォロワーが8人の発信者の「フォロワーの増やし方note」は、どんなに内容が素晴らしくても読まれないだろう。そういうことである。

個人でポジショントークをできるようになる。そのためのポジションをコツコツ積み上げていく。これが大切であり、目指すべきところである。

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改めて、イチロー選手の名言について考えてみる。

名言というものは、遥かなる高みから発せられるポジショントークである。


発言が干渉する利害関係や、その有利不利を自覚できないほどに、自分とのポジションが離れすぎているのである。

ポジションを積み上げて、超人の域まで到達すれば周りに競り合うものはいない。その遥か高みから、自身の培ってきたものや強さの根底にあるものを発信する。

見上げた少し先から聞こえれば、それはポジショントークに聞こえてしまうかもしれないが、遥か高みから降り注いでくるその言葉はもはや立派な名言である。

相手の「競う気力」や「ポジションへの意識」を失せさせるほどの圧倒的な積み上げが、その言葉を「ポジショントーク」から「名言」へと昇華させる。

何者でもない僕は、まずはしっかりとポジショントークができる大人を目指したい。

そして、そこからさらに圧倒的な積み上げを重ね、遥か高みに到達出来た暁には、駆け出したばかりの悩める若者にこう言いたい。

「あのね、ピンチはチャンスと言うけれど……」





ここまで読んでくださってありがとうございます!!

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一緒に皆さんと成長していきたいと思っています。よろしくお願いします


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