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決闘裁判 (936文字)

 映画『最後の決闘裁判』にちなんだお話です。

 私はこの映画を観に行けそうもありませんが、裁判と決闘との関係が示されているようで興味深い内容だと思います。(その裁判は刑事事件を扱っているのでその意味では興味深いとは言えませんが。)

 中世ヨーロッパでは、現在の裁判を「神判」(神による審判)といい正しいこを言う者は神の加護で守られているはずだとして、熱湯の中に手を入れて火傷したら有罪とか水の中に投げ入れ浮かんで来たら水に嫌われた(水は虚偽を嫌うという考えのようです。)として有罪、逆に水に浮かんで来なければ正しいことを言っているので無罪(ただし、その人は水死していたことでしょう。)などととされました。
 その神判の一種として決闘して正しい者を決める(神が決める)という決闘裁判があったようです。
 しかし、この決闘裁判には代理が認められていて、女子や老人などの力が弱い者は代理人(代わって決闘する者)を立てることができました。つまり、決闘の際に力で劣る者は不利と考えられていたようです。神判であれば、力の弱い者でも神の加護がある限り力の強い者に勝つはずですが、そういう考えには限界があったと思われます。
 このような事情を鑑(かんが)みると、決闘裁判は原告と被告との争いの決着を武力で決することと考えた方がよさそうです。

 この映画の舞台はフランスですが、私は歴史上最後の決闘裁判はイングランドと記憶しています。この映画でいう最後とはフランス最後という意味なのかも知れません。

 このような宗教色の強い裁きは、ヨーロッパに統一国家が出現するようになってから減少していきます。
 統一国家の君主は、自己の権威を示すために積極的に裁判に介入し、その結果を紙に記録して残しました。現代の「法による統治」のはじまりです。
 しかし、この王の裁判権は世俗の紛争に留まらず、教会の問題(特に税の問題)にも及ぶようになり、法王との確執が生まれます。

 映画『決闘裁判』は14世紀の物語です。
 フランス革命のときのマリー・アントワネットは、フランス王宮に入浴の習慣を導入したそうですから、14世紀のフランスってどんな生活をしていたんでしょう。

 あんまり想像したくありません。

#最後の決闘裁判 #決闘裁判
 

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