仕事へのモチベーションと報酬 (1239文字)
かつて、私の仕事へのモチベーション(motivation 意欲。やる気)は、達成感とか充実感でした。
困難だと思われる仕事を完成したとき、とても大量の仕事量を処理したとき、そのときの「やり切った。」感が仕事の報酬みたいなもので、それが次の複雑困難な仕事を処理するモチベーションになりました。報酬は多少増えたかもしれませんが、「おっ、増えた!」ということはありませんでした。
プロ野球選手で例えると、「ホームラン王のタイトルを取ったのに『チームの事情があるから』という理由で年俸増えず。」というような感じです。
プロ野球選手なら「そんなチームにはいられない。」と言ってトレードを希望するのではないでしょうか。
私が報酬の裏付けと関係なく仕事に精を出していたのは、多分「職場という組織への帰属意識」なんだと思います。
「組織に認められたい。」とか「組織のために。」といった気持ちが強い動機になっていたのだと思います。
しかし、本による知識ですが、アメリカの労働者は違う気持ちで働いているようです。
そもそも、経営者が社外からやってきて大量の報酬を貰って何年かすると転職して他の企業の経営者になっていきます。
一方労働者は、ずっと労働者のままみたいです。
ただ、労働者が貧困かというと、その時代はそういうことはなくて、マイクロソフト社のように報酬としてオプション株を得て大金持ちになることもあったようです。
労働のモチベーションは、組織への帰属意識ではなく、報酬にあるようです。
そのうち、「社内から出世を繰り返して企業の代表取締役になって、前の代表取締役の悪事を隠蔽し続けるという悪弊」を変えて、企業を健全化し、その健全性を維持するために社外取締役という制度が導入されました。
そういう社会の変化を見ているうちに、諸行無常(「しょぎょうむじょう」仏教の根本思想で、三法印の一つ。万物は常に変化して少しの間もとどまらないということ。)を感じるようになりました。
そして、「今は、組織に帰属することが価値あることと思っているけど、そういう時代って長く続かないのではないか。」という気持ちになってきました。
現在、私の部下や後輩がだんだんと資格試験を取って退職し、転職したり開業する者の数が増えてきています。そういう姿をみると「もう組織の中で生きて行こうとする時代は終わるのかな。」とも思います。
しかし、私は保守的な人間なので、「資格は取っておいてもうしばらく様子を見る意味で組織に属しつづける。」という状態を続けています。
現代は、既得権益者がいろいろな制度を利用して利益の源泉を牛耳っているってところがありますが、私は「効率の悪い部門は必ず滅びる」と思っているので、いずれは既得権益者らの天下も崩れて行くだろうとは思います。
でも、そうなるまで時間がかかりそうです。
であればその間、非既得権益者らはどう振る舞えばいいのだろうと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?