『コンピュータから出た死体』を語る

 『コンピュータから出た死体』(サリー・チャップマン著 吉澤康子訳 集英社文庫)は、私がVZエディタのマクロに手も足も出ず、やっと秀丸エディタである程度の入力を自動化実現できた頃に読んだミステリです。主人公は大手コンピュータ会社の女性部長で「ラリー」という愛称の大型コンピュータを使っています。
 大型コンピュータといえば、かつてはマシン室という空調の効いた部屋に設置され、ソフトスーツを着たSE(システムエンジア)が操作していました。このミステリに登場するコンピュータはそういうのとはちょっと違うようですが、それでも昔のコンピュータの雰囲気で一杯です。
 この本は20世紀の終わり頃に書かれたようですが、それより以前の映画やテレビドラマの中のコンピュータといえば、たくさんのネオンがしきり点滅を繰り返し、記憶装置の磁気テープが回転と逆回転を短時間のうちに繰り返し、白衣を着てクリップボードを持ったエンジニア風の人が常に何かの点検をしているという特殊装置という描写でした。コンピュータとそれを扱う人たちは、超不思議化されることが多く、『ウルトラマン』では、科学特捜隊の隊員がパンチ穴の開いた穿孔テープを目視でその内容を読み取るという神業を披露していました。
 この『コンピュータから出た死体』は、基本的にミステリで殺人事件を追求するのが主題になりますから、コンピュータやシリコンバレーでの各企業間の競争などは背景的な要素しかありません。しかし、当時(20世紀終わり頃)の私には、シリコンバレーや株式オプションで大金持ちになるプログラマーの住む世界は、ほとんどおとぎの国というか別世界だったので、わくわくしながら読みました。この本を読んだ数年後にWindows95が大ブームになりました。まさか、パソコンが大型コンピュータを追い抜く市場性を持つようになるとは思いませんでした。パソコンの将来性とそのパソコンにはOSが必要となること、さらにはOS市場を支配することによってパソコンのアプリケーションソフトの市場をほぼ独占できると予見したビル・ゲイツ恐るべしと思います。
 それはそうと、この『コンピュータから出た死体』は、「なによりも能力と生産性を重視するコンピュータ企業は、性別に関係なく人材を重用するんだ。」と読者に印象付けたと思います。たまに、「これって一種のグローバル化じゃないのかな。」って思います。

以上

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