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漫画や映画で描かれるレーサーって (1217文字)

 漫画『赤いペガサス』や映画『汚れた英雄』などで描かれるレーサーって、かなり特異な人間です。
 「レーサーは命懸けのレースをしているのだから普通の神経ではないはずだ。」ということが性格設定の前提にあるのでしょうが、だったら、スキーのダウンヒルの選手もジャンプの選手も普通の神経ではないと思います。
 でも、モータースポーツ以外のスポーツ選手の描かれ方は個性的ではありますが信念とか努力の人で観る者の共感を誘います。。
 モーター・レースは、巨額なカネが動く世界なので登場人物も一風変わった人でないと人物と環境とのバランスがとれないということなのかもしれませんが、私としてはリアルにレーサーやスタッフを描いてほしいと思いますが、私は見る側なのでどうしようもありません。

 そんな中、映画『RUSH』のニキ・ラウダはイメージ通り(変わり者だが怜悧で合理的性格の持ち主)の描かれ方で安心して観ることができました。
 ジェームス・ハントは、常軌を逸した人間(プレーボーイで刹那的に生きる人間)に描かれていますが、大事故から復帰したラウダにその火傷痕を揶揄する無礼な質問をして悪びれもしない記者を殴り倒すなど男気を見せるところがあり(あれが事実なら立派な刑事事件でしょうが。)、また日本グランプリでの熱い走りをし、ゴールした後で自分の順位ではチャンピオンになれないと思いチーム監督に謝罪するなど、「ハントって、こうだよな。」と思わせるものがありました。(その後順位表示の訂正があり、ハントがその年のチャンピオンになりました。)
 たしか、映画の終わり頃に、ライバルだった当時のラウダとハントの映像が差し込まれていて、「動くハントを始めてみた。」と思わず叫びました(ラウダは、テレビCMで動くところを見たことがありました。)。

 映画『グラン・プリ』では、比較的リアルにレーサーを描いていたように感じました。この映画で描いていた当時のモーターレースは、安全面の配慮なんかほとんど考えられていなくて、「レースは命懸け」というのが当たり前だったみたいですね。レースシーンの場面で、走っているマシンの前方の映像からその横を走る別のマシンを映し出すシーンがありました。レーサーは何も話しませんが(運転中ですから当然ですが)、ジェットヘルメットを被った横顔がレースに集中するレーサーを描き出していていたように感じました。
 映画『栄光のル・マン』で、マックイーンにクルマを譲るレーサーが描かれていました。彼は、このレースの後、引退してテストドライバーになるということでした。最後のレースですから、期するものがあったと思いますが、チームの戦術でレースを降りなければならない心情は察してあまりあります。
 彼の妻もル・マンのピットに入っていて、失意の夫を慰めます。
 レーサーって、こういう人が多いのだと思いたいなぁ。

#赤いペガサス #汚れた英雄 #グラン・プリ #栄光のル・マン

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