映画『七人の侍』が欧米でも受ける理由
はじめに
故黒澤明監督の『七人の侍』をもう何回も観ました。
20世紀の終わり頃、「今世紀最後」と銘打ってリバイバル上映されていたので、映画館にも2度(別日に)観に行きましたし、自宅でもDVDで何度も見返しています。
この名作が日本でヒットするのは分かるのですが、「欧米でも受けているのはなぜなんだろう?」とずっと思っていました。
この設問への解と思えるものを考えたので、以下に書いていきます。
なお、長くなるので、物語の筋は必要なこと以外は触れないようにしています。
1 物語の基調にある傭兵契約という考え
この物語の発端は、野伏せり(「のぶせり」。山賊、のぶし。)がある村を襲撃するという計画を知った農民ら(映画内では「百姓」)の混乱からはじまります。この村は、今までも野伏せりに襲われており、今度襲撃されたら村は壊滅してしまいます。
そこで、農民らは、自衛のために「腹の減った侍」を雇おうと奔走し、一人の頼りになりそうな侍(島田勘兵衛)を見つけ出して、村の防衛を依頼します。報酬は白米の食事。
島田勘兵衛は、農民らの熱情に心を打たれその依頼を受けます。
私たちは、ここに島田勘兵衛と農民らとの約束を見ます。でも、おそらく欧米人は、この瞬間に農民らと島田勘兵衛との間に「傭兵契約」が締結されたと見るのだと思います。傭兵といえば、現代でも紛争地域で「民間の軍事会社」のような形で見ることができますが、私はマキャベリの『君主論』の中で常備軍の必要性を説く箇所で読みましたから、少なくてもヨーロッパにはルネサンス期には存在していたのでしょう。
傭兵は、契約により雇われて戦います。しかし、彼らは戦争がないと報酬を得ることができないので、わざと戦争を長期化させるなど悪行が多く、あまりあてになる軍事力とは言えなかったようです。
傭兵契約は契約ですから、契約当事者は契約内容に拘束されます。この映画では形式上、雇い主=農民ら、雇われ人=侍 という形になりますが、両当事者とも契約内容に反した行動は許されません。もっとも、裁判所など司法権が確立されていない時代ですから、何が契約内容に反した行動なのかは、当事者(農民らと侍)によって判断されます。
この後、侍7名(島田勘兵衛のほかに6名の侍がこの傭兵契約に参加しました。)は、農民らを分隊に分け各々軍事訓練や村の要塞化工事を行います。
そんな中、対野伏せりの戦闘訓練をしている最中、川向こうの数件の家の農民が竹やりを捨てて自分たちは独立して自衛すると言い出します。
このとき、島田勘兵衛は刀を抜いて威嚇し、彼らの離反を許しませんでした。これなど、傭兵契約違反を戒める行為だったのだろうと思います。傭兵契約は、野伏せりから村を守ることであり、侍たちは農民らからそのために必要な行為をする権限を与えられていると解釈できます。逆に言うと、農民らは戦闘指導する侍らの言うことに従わなければなりません。それが傭兵契約の内容です。
その傭兵契約を破ろうとする者は、雇い主(農民ら)であっても、制裁されなければなりません。それが欧米における契約の考え方です。
私たちは、島田勘兵衛の「おのれを守ってこそみなを守れる。おのれのことばかり考える奴はおのれをも滅ぼす者だ。」という言葉に社会で生きていく上での教訓を見出だしそこに感銘を受けますが、島田勘兵衛は今後契約違反者を出さないためにこう言ったと見るべきではないかと思います。この辺りが、日本人と欧米人とで解釈が別れるところと考えます。欧米人的な考えで行くと、島田勘兵衛は、物凄く頭の切れる侍です。
この傭兵契約で結ばれた農民たちと侍たち、という関係は映画の最後にも表れていて、野伏せりをほぼ殲滅し村に平和が訪れた後、村には傭兵である侍たちの居場所はありません。傭兵契約はその目的を達成し、契約は消滅したからです。
2 挟み撃ちの戦術活用
野伏せりとの最後の決戦のとき、島田勘兵衛は残り13騎の野伏せりを全部村に入れ、挟み撃ち(挟撃)で殲滅する戦術をとります。
「勝負はこの一撃で決まる!」という台詞は、私も難しい仕事があと一歩で完了すると言うときによく使います。「千里の道は999里を以って道半ばとす。」という慎重さを貴ぶ精神とは逆な感じですが、「だから集中しろ!」という意味を含んでいると思いますから目的達成のための一言ということでは同じと思っています。
ところで、この挟み撃ちという戦術は、第二次ポエニ戦争におけるカンナエ(「カンネー」と表記している書籍もあります。)の戦いで、カルタゴのハンニバルがローマ軍を撃破したときに用いたもので、このカンナエの戦いは現代においても戦術の手本というか教科書と言われています。ハンニンバルは、この戦いで、戦場の選択、背水の陣をとるなど「戦術の父」と呼ばれるに相応しい能力を見せており、「単に挟み撃ちにしたからローマ軍に勝った。」という簡単なものではないのですが、欧米で歴史をやった者なら「挟み撃ち」の戦術をとる物語というと、ほぼ100パーセントの人がカンナエの戦いを連想するのではないでしょうか。
これは私の推論ですが、当時の北アフリカにはライオンが住んいました。ライオンは集団で狩りをする肉食獣であり、北アフリカにあったカルタゴの人々はライオンが集団で獲物を挟み撃ちして狩ることを知っていたはずです。カルタゴだけでなく、ローマ人も「挟み撃ちの威力」を知っていたでしょう。
欧米人には、このような歴史的知識が遺伝情報のように肉体に組み込まれていて(生物学的な意味での遺伝情報とは違いますが、欧米人は歴史的教訓が細胞内に記憶されているのではないかと思えることは多々あります。)、それがこの『七人の侍』の中に見出だされ、思わず見入ってしまい、感銘を受け、心に刻まれるのではないかと思います。
映画技術の素晴らしさ
そして、この映画は「不朽の名作」と言われるとおり、映画技術の集大成です。脚本、望遠やスローモーションなどの撮影技術、モンタージュ(編集)、俳優の演技など、「どれほど凄い才能がこの映画を作ったのだろう。」と誰もが思うでしょう。
この映画のロケ現場は三つの場所を使っています(例えば、村の外から橋を渡って村に入ってくるシーンでは、村の外と村とは橋を挟んだ別のロケ地なので、天候などを勘案し矛盾のないように調整して別撮影されています。)。これだけ大掛かりで、複雑なプロジェクトをまとめるには常人離れした能力が必要だと思います。
しかもこの映画、東宝にとって起死回生を狙った一発勝負の企画で、黒澤明にとっても初めての大作映画です。この重圧と超複雑プロジェクト。それに耐えるナイロンザイルのような強靭な神経の持ち主。私の中の黒澤明は、天才というに相応しい人物です。
以上
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