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継続できる奴が1番格好いい。確実に。

今ドラムだゴルフだ読書だジムだnoteだって色んなことにたくさん手出してるけど
結局続けられるのってすごい限られてるし
継続がいっちばん格好いい。
始めるのなんて簡単なんですよ今の時代。
だからこそ、いかに続けられるかが本当に大事。

これまで1番長く続いたものはなんだったかなって思い返すと、バンドの趣味でした。
やる方じゃなくて聴く方。
別に今も主にバンド色々聴いてるし大好きだしライブだって気が向けば行くんだけど、
中1からハマって大4までの学生時代10年間はずっとライブとフェスが生き甲斐だった。
これ誇張じゃなくて本当にそう思ってた。

中1でMステのKANA-BOON見て大ハマりして
母と初めてライブに行って心揺さぶられてしまって、音楽にのめり込んだ。
未確認フェスティバルも行ったな、
もう書き切れない量のフェスとライブに行って、
グッズ身につけて音楽で暴れて泣いて、
本当に全身で全力で音楽楽しんだな。
忘れられない、色褪せない記憶がたくさんある。
「死ぬなら今がいい」ってライブ行くたびに思ってた。
それぐらい楽しくてかけがえのないものだった。
多感な時期にあそこまで熱烈に好きなものができて、
何にも制限されることなくのめり込めて、本当に良かったと思う。
今はもう全く同じ熱量では楽しめなくなってしまったからこそ思う。
間違いなく何にも変え難い大切な時間で、
今の自分の基礎となるものを作ってくれた時間だった。

フェス前夜わくわくして寝れないのに
次の日はやく起きちゃうあの感じ、
ライブ会場近づくにつれて仲間が増えていくあの感じ、
会場入った瞬間の思わず飛び跳ねちゃうぐらいのとてつもないあの高揚感、
会場全体のボルテージがだんだん上がってく感じ、
ステージ移動の時に漏れ聞こえる音楽をみんな口ずさみながら歩くあの感じ、
芝生に寝転んで真っ青な空眺めながら遠くのステージから聞こえる音楽に耳を傾けるあの時間、
夕方涼しくなってきてしっとり沁みるあの感じ、
日が沈んだら恥が消えて大暴れ出来ちゃうあの無敵感。
今でも思い出すと喜怒哀楽のどれにも当てはまらない涙が出そうになる。

フェスなんて行こうと思えば行けるし、
私の青春を彩ってくれた輝かしいバンドたちも
まだ第一線で活躍中だから見れるし、
環境的にはまだ現存しているのに
当時ほどの感度で行けないもどかしさがある。
いっそのこと、二度とあの環境が手に入らない方が心の整理はできたかも。
行けてしまう、聴けてしまうのに当時の熱量を持てないことがなんだかとっても寂しい。

そりゃ人間、年を重ねれば考え方だって感性だって好みだって変わっていくから何も不思議なことじゃないんだけど、なんでだろう。本当に寂しい。
心の底から好きで大切だったから、
死ぬまで大切にしようと思っていたから、
過去の無垢な自分を裏切ってしまうようで苦しい。

胸を張って大好きな音楽を大好きって言えなくなってしまってから私の裏切りは始まっていたように思う。
大学入学して真っ先に入ったバンドサークル。
好きなバンドを聞かれてKANA-BOONと答えたら
あーね、と軽くあしらわれた。
すぐは分からなかったけど集まりに数回顔を出して分かった。
みんなもっとマイナーなバンドとか古いバンドとか解散したバンドを好きだと言っていた。
なんだかKANA-BOONを好きだと言った自分が恥ずかしかった。
恥じている自分がもっと嫌だった。
でも当時は周りに合わせるのに必死で、合わせていたらいつしか徐々に聴く音楽の系統も変わってきた。
でもずっと悩んできた。
今も悩んでいる。

今私が好きな音楽は、果たして本当に好きなのか。
感性レベルでの好きという気持ちなのか。
ずっと悩んでいるが答えは出ないので仕方がないのだと思う。
そういうものだと割り切ろうと頑張ってみる。

ただこういう悩みがある時に、
当時の自分が繰り返し聴いていた音楽を聴くと、
当時が鮮明に思い出されて心が救われる。
そういう音楽、
好きとか嫌いの次元ではなく、
事実として私の礎となっている音楽があることを
心の底から誇らしく思う。





こんな熱弁するつもりじゃなかったのにな、思わず。
1番初めの話に戻ると、
色々なことへの感度が下がってきていると思う今だからこそ、継続させることを念頭において挑戦していきたい。
継続が1番格好いいからね、本当に。

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