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【開業151年】 鉄道論議は尽くされたのか?

 義父は、国鉄の保線区員として長く働いた。大雨や台風の日には家に帰らず、路線の保安と復旧に当たった。冬は北海道の雪深い保線区の応援に出かけ、何日も帰らなかった。

 戦争中、少年義勇兵として満州(現中国東北部)に渡り、戦後迷わず国鉄に入ったのは、南満州鉄道を力強く走る列車に、心を激しく動かされたからだそうだ。当時、近隣の貧しい農村の若者の多くが満州に渡ったと言う。義勇兵時代に落馬して片手の骨がねじれ、憧れた機関士にはなれなかった。言葉の極めて少ない義父だったが、晩年、生涯最初で最後の「海外旅行」先は、生き残った義勇兵と訪れた「満州」で、「地平線に沈む夕陽」が忘れられないと言っていた。

 鉄道に憧れた人は多く、鉄道で働いた人も多い。

根室本線・富良野駅で出発を待つC11機関車 (2011年7月13日)

 明治時代以降、巨額の予算と税金を注ぎ込み、債権を発行して広く国民からお金を集め、用地を買収し、線路を敷き、トンネルを掘り、橋を架け、脈々と築いてきた資産としての鉄道は、国を支える最重要のインフラストラクチャーの一つだ。そして、建設から運行、保守に至るまで、膨大な人々の労働が築き、支えてきた巨大資産である。

根本的な鉄道論議はなされたのか?

 鉄道開業150周年の昨年は、テレビや新聞で特別番組が組まれた。鉄道へのノスタルジーを演出しながら、地方を中心に、赤字路線の廃線は時代の趨勢という空気感が基調にあったと思う。しかし、鉄道はどうあるべきか、今もって、根本的な議論が尽くされたとは思えないのだ。

 毎年、廃線路線・区間が俎上そじょうにあがる。JR東海を除くJR5社は「輸送密度が1,000人未満の路線・区間」が、「全国で51路線・100区間(2022年7月現在)」あると公表した。

 北海道では、函館本線長万部おしゃまんべ・小樽間が、北海道新幹線札幌延伸により廃線。熊本県では、球磨川くまがわ沿いを走る肥薩線ひさつせん八代・吉松間が、災害復旧をせず廃線。共に、地方にとっては、幹線級の路線だ。両線の廃線は、その役割を考えるにつけ、将来禍根を残すものだと思っている。

函館本線「山線」、長万部〜小樽間普通列車は生活の足だ (2010年9月4日、倶知安駅)

誰のために鉄道を敷いたのか?

 JR東日本「四季島」3泊4日スイート料金一人95万円。JR九州「ななつ星」3泊4日一人170万円。いずれも予約しても「当選」しないと乗れない豪華列車。デビューした頃は、沿線の田んぼの畦道や踏切のそばで、お祝いの小旗こばたや手を振る子供やお年寄りの姿が、盛んに放映された。まるで鉄道が開通した日のようだが、彼らがこの豪華列車に乗ることは多分ないだろう。

当時憧れた寝台特急「北斗星」食堂車 (2011年8月29日、苫小牧駅通過中)

 一方、相変わらずの赤字地方路線廃線論議。このままでは、日本の鉄道は、ズタズタに寸断されるのは必至だ。

 富裕層しか乗れない列車高級化と幹線にまで手が伸びた廃線。

 151年前、一体、鉄道は何のために敷かれたのか? 今、なんで廃線しなければならないのか? 誰のための鉄道になるのか? 

 国鉄が分割民営化(1987年=昭和62年4月)されて36年経った今、「有識者」と言われる人々の議論は、「民間事業なのだから赤字では継続できない」という基調に染まってきた。鉄道の公共性を保つために、第三セクター、バス転換、上下分離方式とかいくつかの選択肢も議論されるが、赤字路線は廃線という基調は固まっている。

 国鉄清算時には、「長期負債総額は、37兆円に達する巨大なもの」とマスコミは連日報道した。「2021年度末時点では15兆5,678億円になった」とされる(財務省)。しかし、専門家でなくても、これはおかしいと気がつくだろう。

 2022年度の第二次補正予算一般会計分は28兆9,222億円。使途が怪しいとされる国の各種「基金残高」は、2022年度末で16兆円。国鉄を、一つの「企業体」と限って見れば、37兆円は巨額かも知れない。しかし鉄道は、「一企業体」ではない。ゼロが4つも5つも違う、国家資産の世界だ。

晩夏の日高本線の線路脇では、昆布を干す風景が見られた(2010年8月29日、日高本線静内付近)

 「会社なんだから赤字ではやっていけない」と言うのは、JR時代しか知らない若い人にとっても、分かりやすく聞こえる。しかし、一国のインフラストラクチャーとして、歴史と存在意義を踏まえた、根本的な議論はどこへ行ったのか?

狭い国土が、もっと狭くなること

 学校で、「日本は狭い国土に、多くの人が住んでいる国」と教わった。日本の人口は減少に転じた。国土はどうだろう?過疎化の進行と大都市への人口集中が止まらず、利用面積という点では、「どんどん狭くなっている」のではないだろうか?

 廃線の対象になっているのは、「特定地方交通線」で、ほとんどが、少子高齢化と過疎化が進んでいる地域だ。このまま廃線が進めば、国土はさらに狭くなる。

 建設に待ったが掛かっているリニア新幹線は、本当に必要なのだろうか?私には疑問である。大きな争点となっている環境問題をひとまず置いて考えても、地震の多発する日本の山岳地帯にトンネルを穿ち、90%がトンネルの中を走る。名古屋まで最速40分と言うが、それは列車の正味走行時間に限ったことで、乗り換えやセキュリティーチェックで時間がかかり、実際は1時間以上かかると言う試算もある。(途中停車駅の皆さんには申し訳ないが)必要性に疑問符が付くし、都市集中に一層拍車がかかるだけだろう。時代錯誤にしか思えない。

朝靄の日高本線〜日高地方への鉄道は無くなった (2010年8月29日)
「東京の北の玄関口」と言われた上野駅 (2011年1月1日)

 日本では、今、インフラストラクチャーの老朽化が深く進んでいる。インフラ再生研究会がまとめた「荒廃する日本」(2019年 日経BP刊)は、道路・治水・利水・下水道・港湾を取り上げ、急速に進む老朽化に警鐘を鳴らしている。但し、この中に、鉄道は入っていない。台風などの災害で寸断された地方路線は、幹線であっても、修復されることなく廃線の対象になる。老朽化路線は、最小限の復旧措置しか取られない。いずれ廃線が待っているからかも知れない。

 若い世代やこれから生まれてくる世代の人々に、何を残すべきか?最低限、負の遺産を残すようなことにはしたくないし、鉄道がない社会を引き継ぐような愚行はなんとしても避けたいと思う。

(了)

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