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色と感覚の話

「好きな色は何?」と聞かれると結構困る。
色は単体では存在しない。素材感やデザインというものがある。
一言で「緑」といっても、種類がものすごいある。その中で好きな色と苦手な色がある。
好きな色が分からないんじゃなくて、簡単に説明できないほど色に関してのこだわりが強い。
このデザインこの素材なら絶対黄色、こっちだったら絶対赤みたいな。

服は基本的にには黒が好き。
でも、シャツは白が多い。シャツの素材と形では、どう考えても白が好ましい。正確には好ましい素材と形のシャツに合うのは白。
「このデザインには絶対この色」みたいなこだわりが世間一般の人気と一致するときとしないときがある。しないときはラッキーで、別のカラーが売り切れてるのを横目に悠々と買ったりする。

仕事で説明資料を作るとき、好ましい色味がある。モニタ上だから使える色で、印刷して配るものなら絶対使わない色。印刷するならもう少し彩度を落とす。
仕事をし始めて気がついたけど、「見やすい資料」を作るのは得意だ。細分化すると情報量のコントロール、具体と抽象の具合、情報の配置(見せ方)が適切ということなんだけど、それは理性的判断のもとやっているというより、感覚でやっている。脳みそが心地よい方向に進むと大体評判良いものが出来上がる。
気分が良いようにやればいいから、下手なものを出してくる人は本当に理解不能だった。
後輩指導をするようになって、そういった感覚は持ち合わせていない人もいることを知った。

多分入ってくる情報に対して、独自の感覚と紐付けて理解している。
決して共感覚ではないが、五感の境が割と緩いほうであることは確か。
学生時代、数学は壊滅的な出来だったけど、微分積分だけはできた。あれは理屈を理解するというより、触覚に紐づけられたから解くことができていた。(どういうわけか軽い重いを感じられた)
そういえば、英語も古典も文法的な問いは苦手だったけど、読解はめちゃくちゃ成績良かったな。あれも何か理解するというより、においがしたんだよ…(鬼滅のキャラクターの優位性を五感で表してるの、もしかして作者も理解と五感が繋がってるのではと思ってる)

小さい頃はもっと五感の境が緩かった。
セサミストリートとディズニーのキャラクターは色味が痛かった。本当に痛感を刺激されていた。
だから、痛くないサンリオのキャラクターが好きだったけど、キティちゃんは好きじゃなかった。キティちゃんも痛かった。初期のマイメロディも赤と白ではっきりしていて痛かったから苦手だった。ピンクの頭巾を被り出して、やっと見られるようになった。キティちゃんも一時期パステルカラーで描かれたから、そこがきっかけで大丈夫になった。
小さい頃はマロンクリームちゃん派だった。あれくらい優しい色味がちょうどよかった。
キキララも髪の色味は良かったけど、白がちょっとキツかったな。

食べられないものもいっぱいあった。味も触覚も許容範囲を超えると痛かった。
でもいつの間にか平気になった。多分、あらゆるものが鈍くなった。
今はセサミストリートにもディズニーにもキティちゃんにも痛みは感じない。
ただ完全になくなったわけではなく、絵画を見ると残っていることが分かる。
ブリューゲルの一部の絵は濃厚なキャラメルの味がして、見ていて快を覚える。
ピカソの絵は見たことがあるものはすべて、電車で貧血になる手前の感覚がしてよろしくない。
印象派は色が混じり合う感じが不安定さを感じて苦手だった。

今年の春にめちゃくちゃ着たyeeのシャツワンピ、祖母の玄関、オレンジと水色メインの色。
あれは正直、単体で見た時は私の感覚では眩しい。明るすぎる。けど、着るとその眩しさが消える。マイルドになる。
「単体で眺めると眩しいな」→「着るとマイルドさを感じられる」→「脱ぐとやっぱり眩しい。でもさっきまでマイルドだったな?」の感覚を繰り返したくて、手が伸びてるところがあった。(そもそも着た自分があまりにも良いのだけど)
じゃあ他の服でも眩しく感じられるものがいけるのかというと大抵眩しいまま。
本当に謎すぎて、なんていうかものすごく美味しい。

音声情報はものすごく弱い。ラジオが聞けない。動画も得意ではないが、まだギリいける。
音から情報が拾えないという弱さではなく、処理力が余ってオロオロしてしまう。
心地よい情報量というものがあって、そこにどうやっても音声だけでは届かない。何か作業をしながら聞かないとちょうど良くならない。

小さい頃は許容範囲は狭かった。ちょっとでも外れると痛みや気持ち悪さを感じていた。
今は許容範囲から外れてもそこまでではなくなった。今後は快が深化していく方向でベストの範囲が狭まっていく気がする。

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