道化師としてのcool

YouTubeで何気なく動画を流し見していたら、トップタレントの動画が目に止まった。日本のダンスグループ『アバンギャルディ』の出演回。ダンスパフォーマンスの前、英語での質問に対する回答を日本語で返していたのが私の中では嬉しくて、そのまま動画を見続けた。ただ、ダンスパフォーマンスを一通り見て、視聴をやめた。端的に言えばそのパフォーマンスが私の目には好ましく映らなかった。

しばらく考えた結果、私がそのパフォーマンスに苛立ちを感じた原因はそのパフォーマンスの文化レベルなのではないか、という結論に至った。

彼女達の持ち味は大胆な振り付けにある。息の合ったダンスやキレのあるダンスをするパフォーマーならどこにでもいる。だがakaneさんによる振り付けは他のダンスグループとは一線を画す。大阪府立登美丘高校ダンス部の2017年のパフォーマンスが日本で流行したのは記憶に新しい。私は当時、ダンス部のパフォーマンスを見て、純粋にかっこいいと思った。「珍しいな」「面白いな」という感想よりも先に。

しかしアバンギャルディのパフォーマンスは、「珍奇さ」に極振りしたという印象が拭えない。日本らしさと珍奇さがイコールで結ばれたようで、胃がムカムカとした。かっこいいダンサーとして見ていた彼女たちが、今回はまるで道化師のようだった。

日本らしさが美しいものであるべき、という考えは持っていない。泥臭さがあっても良い。しかし泥臭さなりに洗練されていなければ、それはただのダサい作品になってしまう。「大人ブルー」などは似たようなテーマを扱っているが、それは芸術作品たり得る作品だった。

 バズるだけならそれで良い。バズることを目指すとき「目新しさ」は強力な武器になる。しかしそれはこの流れの速い情報化社会の中であっという間に淘汰されるようなものだ。長く記憶に残るような、受け継がれるパフォーマンスではない。

文化レベルを観衆の文化レベルより落として注目を集めるのは簡単だ。下品なことをすればいいだけだから。私はそのようなやり方を好ましく思わない。また、一時の珍しさを「クールだ」と言う観衆の価値観も良いものだとは思えない。人間動物園をやっていた19世紀から構図が変わっていない。

多様性は文化の違いを尊重するものではなかったか。

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