痛みの役割
松井です。
一昨日の野良仕事における土寄せで、右脇と左胸が酷い筋肉痛です。
ホント痛みがあると、何にも集中できませんね。
あと、頭が回らないwww
痛みというのは、身体からの・・
「この部分は動かしちゃダメ!ここに注目して!」
というメッセージです。
そのメッセージが強烈過ぎると全部そこに持っていかれる。。。
そういう人たまにいるよね。
「こっち見て!私はここにいるよ!」
的な人物。
そういう人は、自分って誰かの許可とか承認がないと存在しちゃいけないと思っている人。
既に存在しているんだから、誰の承認も許可もいらないのにね。
でも、そう感じてしまうんだね。
こういう考えかたをしている人は、自分にも厳しいと同時に他人にも厳しい。(でも、厳しいくせにそれを相手に上手く伝えられない)
そりゃそうだよね。
「愛は条件付き」
じゃなかったら困るんだから。
今までの自分が否定されちゃうからね。
「ここに無条件に存在しても良い」
なんて認めちゃったら、これまで何年もやってきた事が無駄になる。
そんな損は引き受けたいくない。
自分が損したなんて認めたくない。
ただただ独り相撲で苦しんでたなんて認められない。
ま、、、そういう人いるよね。
大体こういう人は母親との関係に問題があって「親から適切な愛情を伝えてもらえなかった」わけですが、、、
ホントもったいないよね。
コントロールできない物事の影響で損したなんて本当に悔しいよね。
でも、事実なんだから、今からも人生が続くのだから。
さっさと認めて、それを前提に色々修正して、人生やり直した方が良いとおもうけどね。
【でも、それができないんだよ!】
そういう人が、たくさんいるけど、単に逃げているだけな人がめちゃんこ多い。
認めるってそんなに難しいことではない、引き受けるってのもいろいろとやりなが修正しないとだけど、それもそんなに難しくない。
一番難しいところは、「否認」だ。
自分が幸せではないことを認められない。
幸せを知らなかったら、今が幸せだと思うからね。
不幸じゃないのは幸せではないし、問題がないのは幸せではない。
自分では向き合っているつもりだけど、全然向き合えてない事は良くある。
だって、向き合うって何なのかを、教えてもらう機会が乏しかったらそうなるよね。
だからどうしようもないな〜って思います。
松井万理
追伸:
そういう「痛い人」は人類全体における「痛み」と同じ役割なんやろ。
人類の目標である「全体の福利」が、出来てないよーってサインなんだと思う。
だから、いろいろと改善したり、修正してくことができるんだろうね。
ま、、、、今日はちょっと身体が痛すぎて、短文です。
頭が回りませんwww
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