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Ordinalsへ作品展開しました

1977年、ボイジャー探査機にレコードの円盤が積み込まれた。
このレコードは地球の生命について、人類のさまざまな姿や言葉、文化、思想などを記した記録媒体で「ゴールデンレコード」と呼ばれている。
地球外に向け、地球の情報を残すために行われたプロジェクト。

しかし、このプロジェクトが成功する現実性は乏しい。
そもそも、ボイジャー探査機が太陽以外の惑星に辿り着くのに40000年かかる。
そして、探査機は軌道を変えられない。
その上、ゴールデンレコードを発見した存在が一定の技術力を持っていなければ役割を果たせない。

それでもこの”ロマン”は国と金を動かし、探査機の打ち上げは現実のものとなった。
今から約10億年後には、太陽の死に伴う大爆発で地球は消え失せる。
そう考えると、今のうちにメッセージを宇宙に残すことはまだ希望が持てるのかもしれない。

そう考えるとメッセージが届く現実性は関係ない、
それはある種「死の超越」、生きるための希望だったのだろう。

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BTCのブロックチェーン上に、フルオンチェーンでデータを刻印できるOrdinalsでNFT(というかデジタルアーティファクト)を売買できるようになった。

そこに自分の絵を残すことは、僕にとってゴールデンレコードに自分の遺伝子を載せられるような意味がある。

そう、意味がある、でもその意味に何の意味があるのか?
販売をしたところで誰も買わないかもしれない、
Ordinalsのトレンド熱が冷めれば「そんなことあったな」と流れるかもしれない、
そもそもBTCチェーンは100年も持たないかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

だとしても、そこに今の自分を残せたという希望を僕が感じていることだけは事実だ。

死ぬのも怖い、人との別れも辛い、「今」が変わるのも怖い、
けれど先への対策より今の楽しさばかり大切にしようとする、
このどうしようもない ーそれは若さなのか純粋な人間性なのかー この自分の心にとって「もしかするとずっと残り、いつかの誰かに届くかもしれない」という希望は生きる上での怖さを暖めてくれるように感じる。


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総じて、僕の制作活動は自分が持っている生への恐怖・人間への憎悪の背中をさすり、毛布で暖めることが目的なんだろう。
喪失することが怖い、だから生き続けることも怖い、
最初は仲良くできたと思っていた人間からも恨まれることもある、その他にも様々な歪みのある人間が憎い。

けれど、だからと言ってそんなぐずぐずした感情に引っ張られて ーあるいは悲劇的な主人公を気取ることに居心地の良さを感じてー やるべきことをやらないで生きるのはあまりに愚かで幼過ぎる。

とはいえ「こうなったらどうしよう」そんな恐怖心が溢れ続ける、
だから、少しずつ自分から「こうなったら」の状況を作ることにした。
喪失の恐怖に打ち勝つために、自分から手放す。
嫌われる恐怖に打ち勝つために、自分を主張することを覚える。

それを少しずつやることが、今の自分がよりよく生きるための「死の超越」のための行いなんだと思う。

Ordinalsに出品した作品の原画は全て焼却処分した。
(無論、諸々管理・検証し安全を確保した上で燃やしてますゾ)

これもまた一つ、喪失への恐怖に打ち勝つための行動だ。
「人は”他人のクソ”を見るのは無理でも”自分のクソ”はまじまじ眺められる、それくらい自分が生まれたものは贔屓をしている」
自分の絵への執着、自分が産んだものが失われる恐怖、それを少しずつ解消していきたい。
少なくとも、ブロックチェーンに残したことは原画を処分する勇気をくれる。

あるいは、これも自分の若気の至りなのか。
何にせよまだまだ人としての経験が浅過ぎる。

ただ、それでも今感じたロマンは追いかけていきたい。
ボイジャー探査機に届くかも分からない円盤を乗せた人間たちも同じ思いだったと信じている。

To be, or not to be, that is the question.

このまま生きるか否か、それが問題だ。
どちらがましだ、非道な運命があびせる矢弾やだまを
心のうちに耐えしのぶか、
それとも苦難の荒波にまっこうから立ち向かい、
決着をつけるか。死ぬ、眠る、
それだけだ。眠れば終わりにできる、
心の痛みも、体にまつわる
あまたの苦しみもいっさい消滅、
望むところだ。死ぬ、眠る――
眠る、おそらくは夢を見る。そこだ、つまずくのは。
死んで眠って、どんな夢を見るのか、
この世のしがらみから逃れたあとに。
だからためらう。それが気にかかるから
苦しい人生をわざわざ長びかせる。
でなければだれが耐える、世間の誹そしりや嘲り、
上に立つ者の不正、おごる輩やからの無礼、
鼻先であしらわれる恋の苦痛、法の裁きの遅れ、
役人どもの横柄、くだらぬやつらが
まともな相手をいいように踏みにじる場面、
なにもかも終わりにすればいいではないか、
短剣の一突きで。だれが耐えるというのだ、
人生の重荷を、あぶら汗たらして。
つまりは死のあとに来るものが恐ろしいだけだ、
死は未知の国、国境を越えた旅人は
二度と戻らない、だから人間は
まだ見ぬ苦労に飛びこむ決心がつかず、
いまある面倒をずるずると引きずっていく。
こうして、考えるほど人間は臆病になる、
やろうと決心したときの、あの血の熱さも、
こうして考えるほど冷えていく、
一世一代の大仕事も
そのせいで横道にそれてしまい、
はたせずじまいだ。

ー「ハムレット」(1599-1602)ウィリアム・シェイクスピア

物の見方も口の利き方も周りに合わせ続けた自分、その内向性を等身大のまま残す。
それが自分と同じような苦しみや矛盾を持った人間に届き、寄り添う機会になると願う。
いや、あるいはこれもただの若気の至りか格好つけか、
いや、どれも違う、ただ死ぬのが怖いから今生きた実感が欲しいだけだろう。
そんな人生、何も意味も目的も含まれていないのかもしれない。
だが、それでいいと思っている。
本質的に何の意味も含まれていない地球の生、人間の生を愛し過ごすことしかできない。
ただ、死ぬまで生きたいだけだ。

内向性の化身"Mr.INTROVERT"、何も含まれていない空集合"∅"であること
この自分自身の今の姿写しをブロックチェーンに残す。

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