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[まねきの独り言]「ホテル東寺」。かおりんの京物語

11月の色留袖をタンスから出した。

明日は京都東寺の納経堂で写経の会がある。
同好会みたいなものだが、関西の古刹、大社に渡りがあるのか、毎回有名な神社で会が開催されのを香織は気にいっていた。

着物で行こうと思ったのはなぜだろう。

前日には風通し、半襟付け、小物の準備がいる。
洋服より手間がかかるのに、どうしても着物を羽織ろうと思ったのは、なぜだろう。
東寺界隈には、あのことがあってから近づいていない。記憶が、思い出に一枚の桐の葉が舞う。

犯された‥、と思う。

どうしても思い出せない。
神職に御坊の裏手にあるホテルに連れ込まれた。その窓から見えた桐の木だけは覚えている。
25年前の出来事、あの頃私は京都の大学に通う学生で、政治家をやっていた厳格な父の使いで御坊に登った。そこからの記憶がない。

「夢やったんかいな‥」
「うちの妄想?」

着物を着るというのは手間がかかる。
肌着を着て補正、長襦袢を着る、着物を着る、帯を締める。
今では都踊りを舞うリズムで流れるように着付けはできる。初めの頃は背中が痛くなっていた。着物は猫背を許さない。歩幅も洋服に慣れた歩きではおぼつかない。そして恐ろしいくらいお金がかかる。
小物ひとつでも油断できない。
着道楽の好事家の目は誤魔化せない。
帯紐ひとつ、帯揚げ、履物にも気を配った。
いずれも京都三条の老舗であつらわせた。

小紋に名古屋帯と楽な格好でも良かったが、どうしても色留袖を着たかった。五つ紋の着物でなくてはいけなかった。
彼に会うにはそれだけの格式と覚悟がいる。
彼が用意してくれた12枚の色留袖のうち11月は「初恋草」。
花言葉は淡い恋、そして秘密。
内花二葉、外花三葉。青を中心に色を散らしたが、赤や黄色も艶やかに添えた。

明日、彼が京都にくる。
ともに家庭がある。
新幹線では東京から2時間の距離でも、いろいろな障害があり頻繁に会うことはできない。
ひさびさに京都に泊まるという。
東山の高級ホテルのスイートをおさえてたという。
仕事は順調らしい。
彼は同業者、不動産を扱う会社の社長。

なんで初めて会った時から、こういう仲になるのが当然のようだったんだろ。
会ったその日に寝た。

後悔はまだ、ない。

職業柄、男勝りだと思う。
騙し騙されの世界で生きてきた。
子どもが熱を出しても、携帯に泣きながら電話してきても仕事を優先した。

父がそうだったから。
周りがそうだったから。
負けたくなかったから。

「女はオレがもらう。だけど母親まで奪うつもりはない」
彼と寝ているベットまで、まだ、小さいかった娘が電話してきた時に事情を話すと、彼は怒り出した。私に服を整えさせホテルのフロントに車の手配をしていた。コンシェルジュに子どもが喜ぶ京菓子を手配させた。

「なんや、あの人。女はもらうて、なん?」
香織にとっては初めての感情だった。
とまどった。
意外な言葉だった。
そして、うれしかった。
例え世間に不倫にと罵られようが、あの人の女でいようと、その時決めた。

「好きや、ほんに好きや」

そんな言葉しかでてこない。
携帯が鳴る、彼からだ。
胸躍る。
「香織か、明日は東寺だったよな。会が終わったら電話してくれ。車回す。すぐそばに物件が出た。宿泊施設の許認可でてるホテルを買うかもしれない、大きな桐の木があるホテルだそうた。リノベする時に木は伐採する。それでお前に着物専用のタンス作らせるわ」
動機がした。
記憶がよみがえる。
やはり犯された。
お茶に薬盛られて、夢うつつのままで。
あの桐の葉が舞う場所で。
なんの因果だろうか、あのホテルなのか、偶然にしか思えない。
「東寺の九条側に車停める。会の連中は堀川通りの門出て京都駅だろ。人目につかん」
「ちょっと待って、そのホテルの名前は?」
彼が電話の向こうで書類を取り出す音が聞こえる。予想を裏切って欲しいと願いながら、返答を待つ。書類があったらしい。
受話器に戻る気配がする。

「ホテル東寺とかいうらしい」

忘れられない恋物語、
古の都の時間は滔滔と流れる。
折り重なった人々の情念を飲み込み、想いを縦軸に、悲しみを横糸として。
できあがる布は西陣で折られ、賀茂川の水で洗われる。
羽二重の布を縫い付けて、比翼仕立てにした色留袖は京都の四季を表す。

五つ紋の着物は、あの記憶への追悼なのか。
25年前の落とし前を、私の男がつける、つけてくれる。
香織は背筋を、もう一度伸ばし、大きく息をつく。

あの人の女でいつずけよう。
私の男はあの人だけ。
旦那は彼と会ったら追いだす。

袋帯を二重太鼓で結び、帯紐は黄金色で。過去の嫌な記憶を正装で追い払う。

明日は人生で大切な日になる。

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