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[まねきのお勉強]物語を創るということ。それを表現すること。その前提

どもっ、清純派のまねきです(尊敬する「山根あきら」巨匠が清純派宣言してくれた🥹うれしいから文末にリンク貼っておく。天道兄、性純派てなに、なに💢)。

タイトルは大袈裟だが、中身は薄いからね🤣

これは「えみちゃん」と共同してやる「シナリオ教室」の指導書作りの習作、ポイントの要点整理のためのもの。

引用ベースはすべて教科書と黙している「一気に書ける、ラジオドラマとテレビドラマ」言視舎刊)に従う。
(正直、この出版社には繋がりがない。ただし刊行物をチェックすると、シナリオライターを輩出してる「シナリオセンター」系の著者が多い。小説とシナシオをものにする本、どんなストーリーでも書けてしまう本など、表現に対するテクニック本を数多く出版しているので、順次読破して要点整理をしているところだ)。

「シナリオ」は『なにを書くのか』と『どう書くのか』の両輪に支えられて走り出すものだ。
どちらも欠けては駄目だ。
しかし、教えられられるのは
『どう書くのか』の方でしかない。(P6)

まねきは、この言葉をこう読み換えている。

書き手の書きたい物語は、書き手それぞれに想い温められているもの。その想いを伝えるために、どんな表現方法が最も適切かはアドバイスできる。しかしそれをバカ正直に実践できるのは10人いて一人か二人。その前に覚えなくてはいけないことを教えなければならない、ところまで行く前に大半が脱落してしまう。
いっそ教えるのはやめようか。

例えば小説の新人賞に応募してきた作品があるとする。選考の流れはこうだ。

①選考基準、字数、様式などの条件をクリア。
②貼付要項の粗筋が文章作法に従っているか。
③粗筋が用事用語を守っているか。

お気づきだろうか、例えば賞決定まで三段階ある審査方式だと、一次審査は作品の中身を評価するのではなく、形式で振るいにかけられる。
たいていの応募者は自信があるから原稿を送ってくる。その枚数や作品は膨大だ。

応募者は「おれの珠のような玉稿を読ませてやる」という気分だろうが、そういう作者に限って一次審査は通らない。
大事なそのドラマは、作者にとって貴重であって世間ではステレオタイプのありふれたモノに過ぎない。井の中蛙、後句を知らず。

一人よがりばかり。
安いプライドにしがみついている。
知るものに教えを乞うことができない。

だから、まねきはまず文章作法と用事用語を徹底的に仕込む。
そしてその適正を見極める。
えみちゃんはシナリオ、
ひーさんは短編に天分がある。

さあ、指導書作りが終わったら、泣くほど仕込むぞ。

教わる方が本気なら、教える方も本気をだす。

それが礼儀です、

清純派は発言。
派閥ではありません、
無垢な心を持っているというマークです🤣
ご自由にお使いください。

それを揶揄する邪悪な記事

dandyさん、ランチつぶやき紹介ありがと😆



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