[腎臓移植患者の治療記]故人を偲ぶ時間の切なさ、重さ、ライターの業
夜中にかかってくる電話が苦手だ。
若い頃は友だちや付き合っている異性からの連絡を心待ちにしていたのに、大人になってからは仕事のトラブルばかり、そして訃報の連絡。たぶん、他の人より訃報の連絡を受け取ることが多いと思う。抱えている病気が病気だから。
万波医師のもとで腎臓移植手術を受けた。
長い入院生活で患者同士、連絡先を交換することはよくある。その人たちが残す手帳やアイコンの連絡帳に電話番号が残っているのだろう。
残された遺族の方々は故人と自分の距離間が分からぬままに、とりあえずご一報をくださる。
お悔やみを申し上げるのが礼儀だが、そこまで人間はできていない。衝撃に息がつまる、死因に驚く、故人と過ごした時間が走馬灯のように頭の中を駆け巡る、最後は通夜と葬儀の時間だけを確認して重い気分に押し潰されながら受話器を置く。
つい最近も、患者仲間ではなかったが、親しい距離感を抱いている昔の友人の訃報をLINEで受け取った。
今では日本有数のコンテンツ企画集団を率いる会社のトップだか、知り合った頃は互いに海のものか山のものか分からぬ、夢だけは大きいけど、明日が見えない、将来の約束がない時代だった。
その人は新宿のはずれにあるマンションの一室に仲間4人で小さな編集プロダクションを開いた。
その仲間の一人とたまたま仕事をする機会があり、その事務所に遊びに行くようになったのが知り合ったきっかけだ。
その頃の自分は触れる物はすべて金にしようと息巻いていた。その人は会社を始めから株式会社として、才能を育てる場を創ることを目指していた。指向性がまるで違うことがよかったのだろう。しばらくすると一緒に酒を飲んだり、ダイビングをしたり、新宿のスポーツクラブでスカッシュしたり、ダイビングを絡めて海外旅行するようなっていた。
てんびんの支点のような人だった。
マスコミ世界で生きるというのは才能のぶつかり合いだ。みな我を張り引かない。そんな時、その人は一方にもっとがんばれと言葉をかけ、反対のてんびんにはそっと助言やアドバイスを送り一方に重さが傾かないようにする人だった。
他人には本当に優しい人だった。
その人が悪口をいうのは聞いたことがない。いつも笑顔を絶やさず、物腰は柔らかい。自分が本当に結婚したいと考えてた異性と別れた時にも慰めてくれた。その人は野良犬のような自分にもどうしてこんな対応ができるのだろうと驚いた。そんな人だったから若い才能が周囲に集まる、仕事も広がる、事務所もどんどん大きくなっていった。
腎臓を悪くし、人工透析、移植手術、その後今も続く治療生活と突発の入院生活で、自分から業界や友だちと距離を置いた。まだ右腕には人工透析用に血管造設したシャントが残っている。醜悪に腫れ上がったその姿を呪う。右腕にシャントがあればスカッシュのラケットは握れない。ダイビングはシャントがある者には潜らせない。
病気は趣味も生きがいも友だちもすべて奪っていった。
通夜に着るブラックスーツを用意しながら、白いシャツを買いに行きながら、距離を置いた2人の間に流れた、それぞれの時間の長さに呆然とする。なぜ人は一番楽しかった時間のままで生きられないのだろう。なぜ時間はさかのぼってくれないんだろ。残された者たちはなぜ、その人の楽しそうな笑顔と姿しか思い出せないのだろう。
不思議にその人とは同じ仕事をしたことがない。友だちのままだったから、思いが錯綜するのだろうか。このやるせない気持ちはどこに置けばいいのだろうか。どんな言葉に変換すればいいのか分からない。
KWCケイ・ライターズ・クラブ代表、住吉健さん。ご冥福を祈る。
これが2人だけの弔辞だ。
(今、住吉さんのいる場所に行けたら、メスの跡だらけの身体がきれいになって、シャントを気にせずスカッシュやダイビングができたらいいな。ちょっと時間がかかるかもしれないけど、逝くことは決まっているから、笑って待っていてね。また一緒に遊んでね。今回この文を書くことに戸惑っている自分がいるのを分かっているでしょ、不謹慎かもと悩んでいることを。でもね、住吉さんなら、同じ書くことで明日への階段を駆け上がってきたんだろう。ライターの業だ、自分の不幸を笑い飛ばしてでも書けというでしょ。書くよ、書き切ってみせる。あの頃より大人になっているはずだから、今度は迷惑かけず自分が住吉さんを守れるようにがんばるから。いつまでも友だちだよ)。
涙が止まらない。
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