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人は矛盾を抱えて生きている: 言語学: to と ing

英語に、なんとも奇妙な表現があります。それはー

“I like to run but I don’t like running.”

という表現です。「いや好きなんか嫌いなんかどっちやねん!」とツッコミたくなるような表現です。なんか深いことを言ってそうやな〜と思わされる表現です。でも、同時に、全然自然でありふれた表現でもあるのです。

ネタバレ、というほどでもないですが、上記の表現の言いたいことを見てみると、それは実にシンプルであります。すなわち、走るのは体に良いって分かってるしその考え方には共感するけど、だからといって実際に走るのは好かん!と言いたいのです。

なぜそのようなニュアンスを含むことができるのでしょうか。

それは、to と ing の持つ意味にあります。認知言語学では、言語は人間の認知を反映していると考えるので、発話者が to を使うか ing を使うかの使い分けにもなんらかの意図があると見なします。たとえ、それがあまりにも自然で何度も繰り返されるがために、発話者の意識に浮かばない場合であっても、です。ある表現を使うからには、何かしらの意図があるのです。

to は物事を「遠くから」「俯瞰的に」あるいは「全体的に」見る、という特徴があります。この to の持つ意味を考えると、物事全体見る→概念的な見方をする→心的要因(判断、評価)を表す、といった一連の to の to による to のための意味拡張の軌跡を辿る事ができます。したがって、I like to run. には「走るという概念が好き」という意味が込められているのです。to を使うからには、to の持つ概念が意味として含意されているのです。

一方、ing は物事の「一部」に「ズームイン(^_−)−☆」する性質があります。例えば、I am writing a note. というとき、すなわち、進行形を考えてみましょう。描き始めとか描き終わりとかは認知の範囲から外れて、「今、書いている」という現象が意識の対象になります。そう考えると、ing の持つ「部分に注目」の意味と整合性があることがわかると思います。すなわち、ing は始めと終わりのある物事の部分にズームインしていることを現すわけです※
で、ing  の意味を考えると、running は、走るという行為の真っ最中を表していると考えられます。すると、必然的に ing には物事を経験するというニュアンスがもたらされるわけです。よって、I don’t like running. は実際に走るのが嫌や!って言ってるわけです。

このように、認知言語学の考え方は、英語のモヤモヤを綺麗に解消してくれます。一見矛盾する表現だって、認知言語学なら説明可能です。

しかし、そんな最強の認知言語学であっても解明できぬ謎があります。

私は、確か……院試のために note は封印したはずです。試験が終わるまでは note を開かないと誓ったはずです。それがなぜか今私はここにいる……

ホラーか!

……他にもあります。
ダイエットする!と言った翌日の暴飲暴食。恋人作る!と言ったその年のクリスマス。このスケジュールで!と誓った通りにいかないスケジュール。
人間とは矛盾の生き物であるなあ、と思わずにはいられません。

それでは、人間の認知を反映した言語学、認知言語学がいずれ謎を解いてくれることを願ってーー。

※え!この流れで言うの? と思われるかもしれませんが…。
ズームインの考え方を用いれば、状態動詞が進行形にしにくいのも説明できます。ほら、始点や終点がないとなると、どこにズームインしても一緒やないか!ってなるので。

おまけ

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