インパルス板倉さんについての論文

最近、触発されたnoteがありまして…… 
かれはさんの、お笑いタレント「三拍子」さんについて紹介された記事なんですが、とことん推しへの愛に溢れているんです。改めて「推し」がいることの生き甲斐を感じるとともに、その熱意にいつの間にか私も「三拍子」さんのファンになっていました。

かれはさんの記事はこちら↓

https://note.com/pipipipu/n/nd0333bf6ea2b

そこで、私も「板倉さん」「バカリズムさん」「サンド」さんという推し様について語りたくなった次第です。院の論文を執筆するのと同じくらいの熱量なので、もう、いっそのことミニミニ論にしてみました。

「板倉氏の魅力に関する考察」

1. 序論
 はじめに申しておきたい。私は「インパルス」自体好きであることを。だが、その中でも特に「板倉さん」が好きなのである。これだけだと誤解を与えかねないため、違った言い方をしよう。私は、食べ物の中ではラーメンが好きだ。だが、ラーメンに特に期待するのはその「スープ」の味である。いくらそれがラーメンという食べ物であっても、スープの出来がいまいちでは満足できないのだ。また、私は最近のアニメではスパイファミリーが好きだ。だが、その中で最推しというものが存在し、それが「アーニャ」と「ダミアン」なのである。つまり、板倉氏は「ラーメンのスープ」であり、「アーニャ」でも「ダミアン」でもあるのである。以上を踏まえて、当論文では板倉氏の魅力を解析することを目的とする。

2.1 不思議な世界観
 まず、板倉氏の魅力の一つに、その独特な「世界観」がある。インパルスのコント、「ヨハン」では、板倉氏は「ヨハン」を演じている。ヨハン・リーベルトといえば、頭脳指数の計り切れない天才であり、カリスマ性にも優れたいわば「怪物」である。板倉氏はキセル乗車がばれたときや立ちショ◯がばれたときなど、罰が悪いときにヨハンになりきる。だが、ごく冷静なツッコミが寄越されたり、はたまた脅されたりすると、すぐに小心者となるのである。その掛け合いが面白いのだが、このコントの深みはそれだけではないのだ。
 さらなる「深み」は、「板倉俊之」によって醸し出される。ここで、仮にヨハンをトム・クルーズが演じたと仮定する。コントでの演じられ方とハリウッド映画での演じ方は異なる。当然トム・クルーズが演じた「ヨハン」はまるで「ヨハン・リーベルト」そのものであり、観客の前には、かの「ヨハン」が姿を表すのである。ヨハンのあのオーラが会場を支配すれば、もはや立ちシ◯ンとかキセラ乗車とかどうでもよくなる。それどころか、人々は「あのヨハンが立ちシ◯ンをするわけないだろう」「ヨハンに対して失礼だ」などと考えを改め、もはや立ちショ◯という事実は歪曲されるであろう。あれは立ちショ◯ではない、壁との対話なのだ、というように。このレベルになると、もはや「笑い」どころではない。
 逆に、役者が下手な演技を意図的に演じたと仮定したらどうだろう。見る側はすぐに「ヨハンになりきれない人」というのを役者に投射する。それでも笑いは生じるかもしれないが、インパルスのコントとは違った趣旨のものになってしまうだろう。
 以上の仮定から、「リアルなヨハン・リーベルト」も「明白に演じられたとわかるヨハン・リーベルト」も不十分なのだ。そのどちらでもない微妙なラインが求められるのであり、それを見せられるのは「板倉」氏だけなのである。
 彼のその「独特感」がどこに由来するかはわからない。今後の研究が求められるだろう。ただ、板倉氏が「俺の名は……ピカチュウだ。」と言っていたら気まずい空気が流れていたであろうことは明白だ。(それはそれで見てみたいが。) 「自分の世界観に合致する対象」を選び出す天才なのかもしれない、彼は。

2.2. メッセージ性
 また、彼はメッセージ性も彼の「笑い」に込めている。彼のピンネタ「算数の時間」では、引き込まれる世界観や物語の、絶妙なところに笑いが敷き詰められている。まさかの裏切りや期待のはずれが笑いにつながり、観客はクスッと笑えるのである。
 だが、先に述べた通り、そのネタの面白味は笑えることに加えて、そのメッセージ性にある。「算数の時間」は、破壊神タナトスと少年の出会いを物語のベースに、人生の公式を式で表したコントだ。観客はそれに対して、人間の強さとは何かを考えるかもしれないし、善悪について思いにふけるかもしれない。もしかしたら、観客の中に教師の方がいて、指導法についてメッセージを得るかもしれない。Culler (1995) の"Literary Theory" (『文学理論』) によると、優れた文学とは読書に考察をさせるテキストを指す。すなわち、板倉氏の「算数の時間」はある種の文学なのである。

3.  結論
 以上、「板倉」氏の魅力について見てきた。板倉氏は、声、演技力、世界観、メッセージ性などあらゆるものを駆使してネタを作り出す。そのネタは文学的価値を有し、人々に解釈を促す。彼のネタは「笑い」をスタート地点に、その道中で様々な学びを提供し、観客を再び笑いのゴール地点に案内する、そんなアトラクションだ。今後も、より多くの人が彼の世界を旅行する機会が増えることに期待したい。

           参考

Jonathan Culler. Literary Theory: A very short introduction, Oxford UP, 1995.


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