「人を幸せにすることに引退はない」
ある少年は幼い頃に父を亡くし、工場で働く母をサポートするために6歳で料理を始めた。
弟妹と母から料理を絶賛されると、
「美味しいもので人を幸せにしたい」
そう少年は思うようになった。
母子家庭の少年は、家を助けるため10歳から働きに出て、
40種類もの仕事を経験した。
15歳で母の再婚相手に暴力を振るわれ家出。
この時、年齢をごまかし軍隊に入るが、1年で除隊となり、とても順風満帆の人生ではなかった。
大人になった彼は30代後半で初めて起業し、ガソリンスタンドをオープン。その後、ガソリンスタンドの一角を改装して6席の小さなレストランを開業。
しかし、その後ガソリンスタンドは倒産。
せめてレストランだけでも、と140席以上に拡大したレストランもその後火災で焼失。
彼は何度も復帰を試みるが、負債を多く抱えていたこともあり、店舗経営から一度身を引くことになる。
その時彼はすでに65歳。
しかし、不屈の彼は、
「料理のレシピを教える代わりに、売れた料理1つにつき5セントを受け取る」
というフランチャイズビジネスをここから始めた。
70歳近い彼は、車1代で全米中を走り回り、FC契約を取る旅に出た。
ただ、70歳近いお爺さんの飛び込み営業はそううまくいくはずもなく、断られた数はなんと1009回。
しかし、なけなしの年金でガソリンを買い、出費を抑えるために車の後部座席で夜を過ごし、翌朝再び営業に行く、という生活を続けた。
その甲斐もあって、見事大成功を収め、73歳の時には600店舗まで拡大。
老人の名前は、カーネルサンダース。
そう、日本人にも愛されているケンタッキーフライドチキン。
70歳を過ぎたカーネルは、経営の権利を譲渡し、「味の親善大使」として世界中のFC店舗を視察する旅のような生活を亡くなる90歳まで続けた。
「自分に特別な才能はなかった」と、かつては職を転々としていたカーネル。
しかし、それぞれで一生懸命働いていたことが成功の要因だと語っていた。
「できることはやれ」「やるなら最善を尽くせ」
というルールに従って粘り強く行動を続けたカーネルは、結果的に成功を収めた。
「人を幸せにすることに引退はない」と語っていたというカーネルから学ぶべきことはたくさんある。
起業する時はもちろんですが、何かをやっていて心が折れそうになった時、白いスーツに身を包んだ優しい微笑みのおじいさんの顔を思い返してみると良いかも知れない。
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