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【巨人の肩に立つ】他者の意見を受け入れる

民主主義っぽい制度(議会制度、多数決、投票)は世の中に数多あるが、理論的な民主主義を成り立たせるために最も必要なことは、政治の意思決定が人々の意思(一般意思)に基づくものであること。
なぜなら、人々の意思である一般意思に基づく意思決定をするから、人々は自由である、と言えるため。そうではなく、特定の集団の利害に基づき意思決定しているということは、人々は自由を奪われ、奴隷に等しい立場に追いやられているとも言える。
この人々の意思を政治の場において練り上げるために最も必要なことは何か?というと、自分と異なる他者の意見を認める、というスタンスである。そうでなければ、それぞれの個別の利害の主張に終始し、結局は多数派の意思に従い、他者の意見の無視で議論は終わってしまうだろう。
民主主義が生まれて久しいが、この他者の意見を無視する傾向は現代においても、謂わゆる先進国であっても続いているように思う。中庸な姿勢の政党支持が低下し、極端な意見を主張する政党、ないしリーダーが支持を集めているのはご承知の通り。
では、他者の意見を素直に認めるためにどうすればいいのか?というと、唯識論が力を発揮することになる。
唯識論によれば、自分、と思っている認識は自分の心の中に思い浮かんだものを言葉で名付けて区別しているものであり、自分というもの自体はダイレクトに認識することができない存在である。つまり、自分が拘る意見も外界における存在自体は認識できるものではなく、自分の心の中に留まるものなのである。また、自分と異なる他者の意見というのも同じロジックであり、自分の心の中に思い浮かんだものにすぎず、外界に存在しているかどうかは分からない。
つまり、自分が認識している自分の意見、他者の意見というものは、自分の思い込みにすぎない可能性がある、という点をしっかりとふまえる必要がある。自分は、いまだ、またこれからも、自分と他者の意見自体をダイレクトに認識することは永遠にない。
ゆえに、慎重に、謙虚に、自分の意見と他者の意見に向き合う必要がある、ということをロジックで理解できれば、他者の意見を素直に受け入れる、というワンクッションを取り入れることも可能になるのだと思う。

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