役者が投票に行くこと

戦争反対ー芸術が出来ることー政権に物申すー

御多分に漏れぬ小劇場役者でツイッタラーな私は、自分の出演する芝居の宣伝とか、お知り合いのお芝居を見た感想に添えられてこんな文言がタイムラインに流れてくる。古今東西、芸術活動はカウンターカルチャーとして存在している。演劇などは特にその色は強いことはあるだろう。

だから、こういう言葉たちを目にしやすいことはよくわかる。

しかし色んな内実を学んでこの言葉を発してるとはとても思えない。

もちろん私も大いに勉強不足ではあります。だからこそ、現実から離れた劇場という仮想世界に浸った人の言葉とは一線を画したいと常々思っている。

いわばブルースリーの映画を観て強くなった気になったり、70年代の任侠映画に出ていた銀幕俳優が自分をホンモノのスジのようにピストルを持ったり派閥を作ったりしてたのと同じ。あとディズニーランドに行った帰り、いつまでも耳の付いたカチューシャを付けてること(これはかわいいし微笑ましいけどね)と同じ現象。つまり与えられた感情に酔ってるだけなのだ。

お客さんが劇場に来て世界に浸っていただくことは大いに結構。だってそのためにお金払ってるんだもんね。むしろそのために脚本家演出家はじめ、役者は少しでもリアリティのある衣装を探し、かき集め、毎日化粧や髪型をとがらせ、音響さんや照明さんは効果的な舞台装置を組み立ててくださる。全てはお客さんを現実世界から引き剥がすため。

問題は太秦スタジオの銀幕さん。

酔ってちゃダメでしょう。それはいわば権威を振りかざす官僚や政治家とアナタは同じことをしてる。

もう一つ。スマホで見るその人はそんなことを短い(明らかに借り言葉な)フレーズを投げかけるが、実際のその人は、どう考えても普段モノを考えてる人間には見えなかった。稽古で気持ちよくなって酒を飲んで年下や気の優しい女優に下品に絡むだけの、オジサン。これも正直実社会ならアウトな人達が、酒と芝居に酔って言い放つ。

人間らしくて良い?役者は人間を演じるんだから、ダメでなくてはいけない?それはね、舞台上でのことで、舞台を降りたらただのダメ人間になってしまう。そんな人が認められる時代もあったんだろうけど、もう違う。役者をやって5年、ペーパーですが、そういう空気くらいはわかる。

少なくともヒタヒタにその世界だけに浸ってる方々よりも、ずっと分かる。

演劇やって、役者をやって、人間を伝えたいのは分かるが、その前にちゃんとしなきゃいけないはず。そのアナタが演じてるらしい、人間を。

狭い狭いムラで評価されてるのか知らないが、(少なくとも私よりは評価されてます)、外に出たらただの裸同然のおじさんおばさんですよ。

社会参画は、バイトでやってる?どう考えても食い扶持稼いでるだけ。余す時間をちゃんと社会に直に接続する良い機会だ。投票に行こう。今の空気を吸おう。

あなたが舌触りの良いそのフレーズ「戦争反対」。戦争なんてもちろんダメだ。

それが何故ダメなのか、どうしてそういう言葉がよく聞かれる世の中になってるのか、令和の時代に、戦争が始まってしまう様なシステムとはどういうものなのか、それを防ぐには何が足りないのか何が有るのか、考え知る良い機会だ。その上で「戦争反対」と言ってみよう。

ヒトラーは始め、「ドイツの誇りを取り戻し、大国に戻す」と言っていた。大戦後の天文学的数字の賠償金を背負った喪失感と苦しみとから解放されたい一心ですがるように熱狂的な支持をし、結果

数百万人の虐殺(と誤解された方、身体的、精神的能力が劣っていると差別を受けたドイツ人も数万人いると言われている)という悲劇を作り上げた。そして同じくらいの数のドイツ人が亡くなった。

「戦争反対」が「戦争礼賛」にすり替わるくらい、感情でアガッている「だけが根拠」の時の判断は危険なのだ。

実社会で、根拠を探ろう、行動しよう。

役者は感情労働だ。だからこそ舞台の外では、頭を働かせよう。

時代や情勢によって、役者なんて、簡単に掃き溜めのような扱いにされてしまう。

自分の誇りのために、投票に行こう。

と、思った夜。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?