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5月の振り返り 〜苦戦〜

5月のテーマは「自分の才能」

今月実施したことといえば、
・才能発掘シート作成(0歳〜現在まで振り返り、禁止されてもやめられない行動や夢中になったことを洗い出す)
・〇〇力を意識する。みんなを〇〇力で褒める。
・若新さんの話を聞く
・自分アンケートを取る(他人から自分がどう見えているか、もっと良くなるにはどうすればよいか)

私の才能

私の才能は、なんだろう
と、色々と考えるプロセスは、結構モヤモヤした。
わかりやすい凸凹がない私は、過去を振り返っても、人に聞いても、「私の才能はこれだ〜!」という発見や特筆したいものがないというか、実施した色々なワークはすでに認識している自分の答え合わせをしているような、「私=いたってノーマル」感から抜け出せない感覚があった。それが、ちょっと苦しくもあった。

改めて、「才能」とは?
物事を巧みになしうる生まれつきの能力。才知の働き。(デジタル大辞泉)
才知と能力。ある個人の一定の素質、または訓練によって得られた能力。(広辞苑)



”自分なりに噛み砕くと、得意を形にして活かせていることが才能なのかもしれない” と整理してみたものの、無意識に「才能=生まれ持ったすごいもの・世の中に通用する大きいもの」として認識している自分がいる。
自分の素質や訓練して得られた能力も才能だということと、既存の才能のイメージとが行ったりきたりして、自分の素質をなかなか認められなくて、苦しかったのかもしれない。

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才能は、自分の人生をより豊かにするためのツール

でも今は、才能があるか否か、が大事ではなく、
才能も含め、自分がどういう人間であるかを自分が自覚し、
どうしたら自分の送りたい人生に近づいていくかを考えることが大事
だとところまで至れた。
才能は、自分の人生をより豊かにするためのツールであり、才能の大小や種類が私をジャッジするものではない。
若新さんが言っていた「自分のクセや性質にあったものを選んでいく」ことは、その選択が自分にとって良い方向に進める一歩になるということだと理解した。
自分のことをわからないがために知らないうちに苦しい方向に行かないように、自分にとって明るい道へ進めるように、自分の才能を理解することや都度振り返ることは価値のあるプロセスだなと腹落ちした。
自分の成長とともに、才能も増えていくことがわかったのも、収穫だった。
これから、たくさん才能を増やしていこう。私がずっと願っている、自分の引き出しを増やしたいというのは、言い換えると才能を増やしたいということなのかもしれない。


思わぬ気づき〜私の願いは人を楽しませること?〜

上記の話を、夫につらつらと話していたら、これまでずっと自分で繰り返し言ってきた言葉たちが繋がって思わぬ気づきにつながったので、忘れないようにここにも書いておく。
常々、私が口にしていることは「自分の引き出しを増やしたい」
自分にできることが増えることによって、世界が広がり、自分自身も楽しくなるから、自分の引き出し(才能や知識)を増やしたいと思ってたし、もう何年もいろんな人にそれを言っている。
なんで才能や知識を増やしたいのか、改めて夫に問われた。わかりやすく説明しようと思って同期の例を出して話しだした。(同期のTくんごめん〜!)

私:「同期のTくんは超おしゃべりで、こっちが聞いてないのに好きなことを話しまくる。Tくんのおかげで場はシーンとならないし、私は聞いてるだけで楽だしムードメーカーを担ってくれてとっても有難いけど、話の内容はゲームでいくら課金したとかでつまらないんだよね(笑)。私はああなりたくないし、もっと面白い話とか興味深い話をしたいんだよね。さんまさんみたいになりたいって言ってるのは、場を回したいんじゃなくて面白い話をしたいから。。あ、私、人を楽しませたいって思ってるのか。私話すの苦手じゃん。私、引き出しを増やすことで自分のコンプレックスを解消したいって思ってるのかもね。」
夫:「次必要なのは、雑談力じゃない?」
私:「なるほど〜・・・」
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私の才能の一つは、人の話を聞くこと・共感力。結構人に感謝される。
話すのは得意ではないけど、人を楽しませたいし、話してよかったなとか、また話したいなと思ってもらいたいという欲求があると気づいた。
とりあえずなんでもいいから「自分の引き出し」を増やすんじゃなくて、みんなとシェアしたいもの・話したいものという視点で考えてみてもいいな〜と思った。お笑い芸人になりたいのではなく、豊かな人になりたい。

こんな気づきが得られたのも、今月の良い収穫◯

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