誰かの才能を感じたのは、どんなとき?
「誰かの才能を感じたのは、どんなとき?」
と、問われた時に、パッと思い浮かばなかった。
私は「才能」という単語を普段意識していない(そもそも才能ってなに?状態)し、
振り返ってみると、その人の才能なるものを褒めたくて
「あなた天才だね!」「センスあるね!」って言葉は頻繁に使ってる。
「天才だね!」って最大の褒め言葉のように使ってたけど、
今思うと、その素晴らしさのディテールを言語化して贈らずに、ざっくりと薄っぺらく褒めてたかもしれないと反省した。
(これまで私から天才だね!と乱発された方、すみません。決して雑に褒めたつもりはなかったんです。)
改めて、「才能」とは?
物事を巧みになしうる生まれつきの能力。才知の働き。(デジタル大辞泉)
才知と能力。ある個人の一定の素質、または訓練によって得られた能力。(広辞苑)
自分なりに噛み砕くと、得意を形にして活かせていることが才能なのかもしれない。
私が才能があるな(天才)と思っている人の一人が「お笑い怪獣さんまさん」
人を笑わせ続けられる、だれも傷つけない、オフの時も変わらず人を楽しませる。
その裏には、努力がある(自分の収録録画をちゃんと見ている。自分自身のことが好き、ということもあるが)。
他の人よりもそれが好きで、他の人よりも苦なく努力できて形にし続ける。
才能ってこういうことかもしれない。
私の才能は、なんだろう。
ただ、好きで、苦なく、努力して形にしていく私の才能のなかには、
私の価値観と信念もちゃんと要素として入れて、育てていきたい。
さんまさんのように。
俺は、絶対落ち込まないのよ。落ち込む人っていうのは、自分のこと過大評価しすぎやねん。過大評価しているからうまくいかなくて落ち込むのよ。人間なんて、今日できたこと・やったことがすべてやねん。
俺は幸せな人を感動させたいんやなくて、泣いてる人を笑わせて 幸せにしたいんや。これが俺の笑いの哲学や。
かっこいい!才能を開花させる時、キラキラしてたい!ね!
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