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ひとりごと

「あと半年しか生きられません」

ある日突然言われたら私はどうするのだろう。
それが病気が原因だったら。尚更どうするのだろう。

生き方が大きく変わるのだろうか。すごく人に話しかけるようになったり。TwitterなどのSNSをやめて、現実を謳歌することに費やすのだろうか。
ずっとやりたかったことをやるのか。

そんな状況にならないと、答えが出ない疑問を今日映画を見ながら考えていた。
末期ガンで余命宣告をされた市役所勤務のおじいさんのこれからの生き方の話。(自己解釈)
その人は周りが見ても「変わった」と断言できるほど生き方が変わった。色んなことを試し、最後は1つの物事をやり遂げることに時間を費やしたのだ。
「私には怒っている時間は無い」
そんなセリフが印象に残っている。

「死ぬまでにやりたいこと」
という漠然とした問いかけには、無限に答えが出てくる。
美味しいものを沢山食べる。行きたかった場所に行く。何もしないでずっと家で映画を見る日を作る。

「じゃあ、今から半年で死ぬのであれば、やりたいことはなんですか?」
と聞かれたら、全くわからなくなってしまう。最初に言ったことだ。
残された時間が短いと、こんなにも違うのか。いや、そもそも半年を短いと感じるのは長い人生で考えてるからなのかもしれない。その状況になったら、「まだ半年もある」となるのだろうか。

「あとどれくらい生きられますか?」と病院の先生に聞いた父親は、その答えを聞いて何を考えたのだろう。なにをしたかったんだろうか。
病気になったら余命宣告が半年でも、実際は4ヶ月ほどしかない。残りの2ヶ月は病院で過ごすことになるだろうから。

今こうやって書き出してみても、分からないものはずっと分からない。
「後悔のない人生」なんてないと思っている。些細なことでも、必ず後悔することはあるだろう。それは死にゆく本人もそうだし、看取ってくれる周りもそうだと思う。

私は「生きていてよかった」と胸を張って言える人生にしたい。それが自分の生きていく上でのモットーだ。
考えてみれば、長さは違えどみんなある程度生きられる時間は決まっている。余命宣告みたいなものか。「やりたいことをやりなさい」と言われるのは、その長い人生でやれることをできるだけやっておけという意味なのかもしれない。
いつか行けたらいいなと思っている場所や、いつか食べたいと思うものも。
人生のやりたいことなんて半年じゃ足りないから、長い年月をかけて叶えていくのかな。

そんなことを考えていた今日この頃。
何を言いたいのか分からなくなってしまったけど、ひとりごとなのでよしとしよう。

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