記録

自分の気持ちの記録をつけるために、これを書く
綺麗な文章でもない殴り書きに近い。いつか見返してそんな時もあったなと思える日が来たらいいな。











父がこの世界からいなくなって3年になった。
「亡くなった」「いなくなった」「星になった」「お空に帰った」
人が亡くなった時に色んな表現をするが、どれもしっくりこない。未だに受け止めてないからだ。

もう3年なのか。早い。「ただいま」って、帰ってくるんじゃないかといつも思う。もう慣れたつもりだった。全然だ。悲しくなる。話したくて会いたくて仕方ない。自分が行き詰まった時、父ならなんというだろう。笑っている父の写真に話しかけても、それに答えが返ってくることはもうないんだ。私の話を聞いて、何を感じるだろう。なんと言ってくれるだろう。想像することしか出来ない。会いたい。


人は相手の声から最初に忘れていく。
そんな話を聞いたことがある。信じたくないけど、それが本当なのだと3年経って実感してきた。こんな声だったかなぁと答え合わせをしている気分になる。あまり家族で写真を撮るような家系じゃなかった。卒業式などの節目に撮ったくらいだろうか。動画が残ってはいるけど、見たら泣いてしまうから見ることが出来ない。あぁ、声が聞きたいのに。泣いちゃったら心配しちゃうね。

20になった。ずっとお線香をあげられなかった。居なくなったことを事実にするようで怖かった。嫌だったんだ。でも、今年の誕生日に初めてあげられたよ。嬉しかったかな、喜んでくれたかな。でも、最初で最後かも。やっぱりまだ難しいや。線香は亡くなった方のご飯だと祖母が言ってたけど、無理なものは無理だ。餓死したらどうしよう。ごめんなさい。もう亡くなってるんだけど。

お酒が飲めるようになった。「1番最初は、パパとお酒を飲みたい。2人でビールとかいいね」と言った私に、「いいね、2人で行こうか」と笑顔で答えてくれた父。父はお酒に弱かった。ほろよい1缶で泥酔に近いレベルで酔ってしまう。お酒に弱いし苦手なのに、嫌と言わずに嬉しそうに笑ってくれた思い出を父は覚えているだろうか。私は忘れてないよ。飲みたかったね、お酒。家では誰も飲まないから、いつも1人でみんなが寝た後に飲んでるんだ。隣にいてくれているのかな。乾杯してみたかった。叶わない夢になってしまった。

寂しがりだった父は、私が新しいものにハマったと話すと、次の日には調べて覚えてきてくれていた。ヒプノシスマイクのディビジョンを覚えてきた時にはびっくりしたけど、それ以上に嬉しかった。Roseliaのライブビューイングに一人で行くと言った時は、曲を覚えて一緒に行ってくれた。ゆりしぃの引退ライブで2人で泣きながら帰ったことが昨日のことのようだ。陽だまりロードナイト、私は大好きなのに父が「思い出して泣く!」と言いながら飛ばして揉めてたの、くだらなくて面白いね。
今は家族でちいかわにはまってるんだ。寂しがりだから、父も集めたりするんだろうな。

43。早すぎたと今でも思う。病気には抗えない。人間いつか必ず死ぬのだと、3年前の今日強く感じた。
あの日から誰よりも頑張ってくれた母親にもすごく感謝してる。やはり父の選んだ人だ。すごいよ。でも、父のことを思い出したら誰よりも泣くんだ。私の知らないところでたくさん辛いし我慢してるのだと思う。父の分まで支えてあげるから、心配しないでね。心配するだろうけど。

私、43まではがむしゃらに生きるね。そこからは、自分の心臓が止まるまで生きるからね。たまには夢にでも会いに来てや。待ってるからさ。

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