関東美修会 ~Les Enfant Terrible~ 華の章 第2章 ~桃園と呼ぶにはあまりにも壮絶な・後~(仮)

離れた位置に居る信長にも、緊迫した謙信の「気」は感じ取る事が出来た。
いや、謙信の発していた「気」は、極寒の地にこそふさわしい、
「外気からの疎外感」にあふれたものだったから。

「実に、実に美しい」
それは信長自身が、今までに数限りなく見て来た甘美で美しい光景よりも、
孤高で気高い、完璧なる「調和」だった。

しかし、だからこそ、謙信のしようとしていた「行為」
そのものに信長は、深い憎悪と哀れみを感じた。
戦う事に疎い信長をもってしても「狙撃」という行為の愚かさは
自らが一目で魅せられた男が、自らの「美」を否定している様に
見えたからだ。

「アイツを止めるべきだ」
信長と言う男は、自らの愛してやまない「美」を他人が
軽々しく蹂躙する事を許さない。
それが当人にとって、どんな不利益を被る行為だとしても。

「誰だ?」
その信長の抱いた感情は、極限まで集中していた謙信の静かなる
逆鱗に触れた。
闘いの申し子の様な謙信の魂は、その刹那、信長に牙を剥く。

静寂が発する純粋な空間。
謙信の放った匕首(スローイングナイフ)が、
さっきまで信長の急所があった所を的確に貫いた。

「しくじったか?」
その答えはYesとも言えたし、Noとも言えた。
事実、信長は謙信のナイフをかわす方の未来よりも、

そのまま仕留められた方の未来にこそ
限りない美しさ「調和」を感じていたからである。

Yesの方の理由は、もうひとつあった。
信長にかすかに見えたのは、謙信の死角の遥か先から、
謙信の作り出した「調和」を乱す、不必要な光の煌めきを感じたからだ。
その煌めきを、信長は限りなく無粋と感じた。
そして、同じその煌めきを謙信は殺気と感じたのである。
その煌めきは、謙信を標的としたライフルのスコープが反射したものだったからだ。

そう、謙信の言葉は、信長に対して向けられたものではなかった。
自らの選択した「狙撃」が虎峰組に察知されたが故の言葉だったのだ。
信長の気配を察知した謙信は、反射的にナイフを投げた瞬間、
同時に信長には全くの「殺気」「気配」が無い事を感じ取ったのである。

このままでは危険だ。
瞬時に決断した謙信は、見ず知らずの相手である信長すら、その手を取り、
足早に現場からの離脱を選択する。
それは的確で賢明な判断と言えた。
戦闘区域外へ速やかに離脱した後、この男を始末すればいい。
謙信にはそれがたやすく、そしてごく自然な行為である事は
言うまでもないだろう。

「行くぞ」
不思議なヤツだ、狙撃目的の俺ですら、こんな格好で極寒のこの地には来ない。
誰だって命は惜しい、が自殺そのものが目的なら話は分かる。
恨むなよ、お前の目的は、変わって俺が果たす事になるだろう。
見られてしまった以上、そのまま黙って帰す訳にはいかない。

「心配いらないよ、アイツの弾は当たらない」
何を言っている?謙信にとって、その答えは予想だにしないものだった。
「いや、ヤツの腕はそれなりに確かだ、すぐに離脱...」

「逃げるなんて、美しくないよ」謙信の言葉を遮った信長。
「美しいという事は、絶対的に正しいんだ、だからアイツの弾は当たらないよ」
謙信はその奇妙な論理に混乱すると同時に、いくばくかの好奇心を感じた。

しかし、直後の信長の取った行動は、謙信の好奇心すら遥かに超える奇妙なものだった。
「行こう」逆に謙信の手を取り、信長は声をかける。

信長はその煌めきの方向へ、ゆっくりと歩き出した。
一歩ずつ、確実に。
その足取りは、この子供の様な華奢な男から発せられる物とは思えない程、
力強く、悠然としていた。
まるで、自らの敗北を完膚なきまで否定する「虎」の様に、強く、潔く。

その常軌を逸した行動に面食らったのは、謙信だけではなかった。
信長の確信に満ちた表情を、スコープ越しに見ている相手の狙撃手も、
その「違和感」に毒され、自らも距離を詰めるという愚を、
ごく自然におかしてしまう。
この狙撃手もプロフェッショナルである事は間違いは無いだろう。
しかし、信長と言う「異能」の前ではプロの経験など、
取るには足らない物となる。

狙撃手の訓練された素早い動きに対し、ゆっくり、悠然と歩み寄る信長。
こいつ、狂ってやがる...。
謙信は自らの動悸が、落ち着いた「それ」から、
緊張感を感じる「それ」に変化するのを感じ取った。

「来る」のか?
次の瞬間、さっきまで狙撃手だったその相手の表情が、
得体の知れない戦慄に凍り付くのが、謙信にも分かった。
この俺が?飲まれている?この男に?

それでも信長は、その悠然とした歩みを止めない。
そして、その敵に対して、こう言い放った。
「離れた所からの狙撃なんて、全く美しくないよ、卑怯だ」
諭す様な、それでいて、あやすかの様な微笑をたたえ。

敵の戦慄は頂点に達し、そして「排除」という名の
恐怖からの逃亡を選択した。
狙撃目的のライフルではなく、サイドアームとしての拳銃を素早く抜く。
しかし、その攻撃が信長を討つよりも早く、謙信の身体が激しく躍動した。
その一瞬の隙だけで、謙信には十分だった。

今は動かぬそのムクロは、唯一、恐怖からの逃亡には成功した様だ。


「ただの自殺志願者、では無い様だな、貴様は」
少なくとも謙信には、一つの確信があった ~この男は、死にたい訳じゃない~
自らの問いが、全くの愚問である事を知っていてなお、
謙信にはそんな愚問しか残されてはいない。

「君も」信長が静かに口を開く。
「狙撃なんて卑怯な方法は、僕が許さないよ」
謙信は理解した ~ヤツも俺も、この男にはお気に召さなかった様だ~ と。

「貴様、名は?」名を聞けば、始末しづらくなるにもかかわらず。

「僕は、信長、美剣 信長という名前だ、君は?」
どうやらふざけている訳でも、おどけている訳でもないらしい。
その表情は穏やかな微笑を携えている。

「俺の名を聞けば、この通り厄介な事になるだろうが、構わんか?」
「俺の名は、謙信、乾 謙信と言う」
始末に負えない、とはこの事かも知れんな。
名を告げた謙信には、もはや信長を始末するつもりなど毛頭なかった。

「君と居れば、厄介な事どころか、退屈しなさそうだね、謙信」
何を言ってやがる、それはこっちのセリフだ。
思わず口元を緩めてしまいそうな自分を戒める為に、
謙信はその言葉を、心の中だけで発した。


あえて離れた所で、しかも例え様もない戦慄をその顔に浮かべたまま。
「王」はそれを受け、一族や虎峰組に慎重な対応を促した。
敵を排除する為に、恐怖を訓練によって克服されている
「兵隊」ですらこのザマなのだ。

「次の選挙も近い、細心の注意を払う必要がある」
「王」もまた、謙信から手を引く必要があったのである。
自ら築いた「王国」も、僅かな慢心あらば、長くはなかろう。
この用心深さ、臆病さも彼を「王」足らしめていた。

信長と謙信の放った「インパクト」は「王」を止めるのには
十分なプレッシャーだった。
しかし、宇田の目は怒りにうち震えていた。
「早急に虎峰を取り込む必要がある、乾、お前の命はその後だ」
その執念は、謙信への恐怖の裏返し、ともいえた。


「乾、聞いているのか?乾?」
別室の海堂からの声に気が付いたのは、眠っていたからではない。

「済まん、考え事をしていたんだ」
よっぽどな事が無い限り、海堂が直接、声をかける事などない。
その事実は、俺が夢うつつだったとしても、珍しい事だと謙信は悟る。

「ちょっと来てくれるか?困った事になりそうだ」
その海堂の声は、緊急を要するものだろう。
緊迫した空気が迫っている、そんな予感がする。

「全員を集めてくれ、海堂、俺もすぐに行く」
俺のだけでなく、海堂の「嫌な予感」も当たるな。
すぐに謙信は、自室を飛び出した。
美剣、貴様を連れ戻したのは正解だった様だ。

第2章 了

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