まぐろ亭親父画像

人に親父あり 〜俺と親父との埋められないへだたり〜

世は平成も、はるかに進み、四半世紀を過ぎたばかり。
しかし「親父」の壁の高さは、いまだKjをもってしても、越えられず。

こんばんわ、ノトスタ部のソリッド・スネーク、Kjですw

連続して「人に親父あり」を執筆していた頃から、早5年。
とうとう、新作を生み出す機会が来るとは、夢にも思いませんでした。

しかし、親父とのエピソードは、語り尽くせぬ程。
本日は「親父には、かなう気がしない」と打ち拉がされた、
エピソードをお送りします。


それは、俺が12歳の頃。

まだ、その頃、羽振りのよかった親父は、兄、姉と7年の歳の開きがある
俺の為に、凄まじいまでのビッグイベントを企画してくれた。

そう「海外旅行」である。

俺が母の胎内にいた頃、母と兄と姉を連れて、ハワイに飛んだ親父。
それは親父の店で働く、従業員達の社員旅行も兼ねたものだった。

しかし、当時の俺は、生まれてから一度も「国境」を越えた事が無い。
当然、パスポートすらも持ち合わせてはいなかった。
そんな俺が、中学に上がる前(中学受験した)に、勉学に勤しむ前に、
親父は家族旅行、しかも、サイパンへを、企画したのだ。

南の島。
本やTVでしか見た事が無い、夢の島、サイパン。
しかし、祖父から聞いていたサイパンの話は、忌むべき戦争の記憶。
「祖父が見た戦争の傷跡と、始めての海外をこの目で見る」
幼いながらも俺は、そんなテーマを掲げて、その日を待った。


長いフライト(子供には長く感じたw)を終え、サイパンの地で
生まれて始めての「入国審査」に挑む幼きKj。
だが、審査官は、ものすごいボケをカマしてくるのだ!

「バクダン、モッテマスカ?」

サイトシーンを死ぬ程練習して来た、Kjを完膚なきまでに打ちのめす、
審査官の一言に、俺、Kjは悶絶する!

「い、いいえ」Kjの緊張感はMAXを迎える!
「何も悪い事をしていないのに、交番の前を通る時は緊張する」症候群に
遠いサイパンの地で、しかもカタコトで、襲われるとはっ!!!!

それだけ、当時がいい時代だった、という事だ。
大人になって、海外の地に赴く頃には、そのような「ボケ」は
世界の何処ででも、封印されてしまった。
繰り返すが、本当にいい時代だったんだ。


非常に簡素な空港から、車で30分程、立派なホテルだった。
周辺にはリゾート地らしく、テニスコートや草木が生い茂る公園など、
圧倒的なまでの「セレブ感」が満ちあふれる。

だが、この時も、刻々と。
親父の偉大さを、存分に感じさせる「セカンドインパクト」が、
幼きKjを追いつめようと、ゆっくり、だが確実に迫っていた!

やはり、サイパンと言えば、圧倒的に透明度の高い海での、
マリンスポーツが最大の娯楽であろう。
子供であったKjのみならず、兄や姉も、こぞってビーチに行くのである。

そこには、もちろん、親父の姿もあった。

タッパはないが(約159cm)、黒光りする屈強な肉体に、
北島三郎氏と、古谷一行氏を足して2で割った様なルックスを持ち、
大門団長の様なティアドロップのサングラスを身につけた親父は、
現地の人にも見劣りしない「迫力」を武器に、
サイパンの海に出たのである。

一人で沖に泳ぎに行くと言う、冒険の旅に親父は挑戦する。
幼い兄弟達の身体作りの為、幼少の頃から兄、姉、俺は、
水泳の英才教育を施されてはいたが、親父は危険だからと、
ひとりで、遠浅のサイパンの海に出て行くのだ!

数時間後。
親父の姿は、俺達家族の眼前から、忽然と姿を消した。

俺と兄は、見えなくなった親父を心配し、
パラソルの下にいた、姉と母の元へ。

しかし、母は冷静だった。
「お父さんがそんな、居なくなるなんて、あり得ないわよ」
息子達と遊ぶべき、父親たりえなかった親父を叱責する。

それで冷静さを取り戻した家族。
家長のメンツは、丸つぶれだw

気を取り直した俺と兄の目を引いたのは、遠くを疾走する
ジェットスキーだった。

「やりてーーーーーーーーーーー」
兄と俺は、男の子丸出しで、叫んだ。

しかし、それを取り仕切るのは、明らかに「ガイジン」さんw
まるで「ストII」にでも、出て来そうなサングラスの黒人との、
交渉(もちろん英語?)にビビる兄弟ww

それを越えなければ、憧れのジェットスキーは出来ない。
困った兄は、大学生の姉に相談をする。

「いや、怖いから」拒否する姉。
弟達の懇願にも、頑として姉は英語による交渉を受け付けない。
「無理なのか?」憧れのジェットスキー。。。。


しかし、その時!
水平線の向こう側に、碧い海を真っ白な波で切り裂く、一陣の風。
明らかに手慣れた、玄人の様な堂々たるライディング!
高速でのターンも鋭くキメ、またフルスロットルで、水平線を斬る!

「あっ!」そう、親父だ。
「なにいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!!!!」
まるで翼くんの様な、完成された「なにい!」をハモる家族。


数分後、親父は戻って来た。
家族の寵愛を失いかけた親父が、まるでアメコミのヒーローの様な
オーラを身にまとい、家族の元へ帰還する。

俺と兄だけでなく、家族全員からの無数の「なぜ?」に
親父は一つ一つ、丹念に答えた。

まずは英語の壁である。
俺も知っているが、親父は全く、英語は出来ない。

しかし、親父はジェットスキーの元締めにジェスチャーと
「OK?」だけで交渉を成立させた。
「同じ人間だ、伝えようと思えば、伝わるだろ?」
そこはかとなく、子供達に伝えるべき事をサラッとやってのけていたんだ。

次の「なぜ?」
ジェットスキーなんか、やったことないだろ?親父!
めちゃくちゃ上手かったじゃんか?

「乗り始めて10分ぐらい、隠れて練習してたw」
何だその茶目っ気!wwww

しかし、運動の面においても、親父はセンスを持っていたらしい。
慣れたら、フルスロットルだろうが、ターンだろうが、
キメるのは、訳ない事なんだそうだ。

そして、最後の質問「俺達もやっていい?」
「おう、一緒に行こうぜ」器が違いすぎる。。。。

あの遠い日の、鮮烈な思い出。
一生に一度きりの、親子のジェットスキー。
「この人には、きっと一生かなわないな」
少年Kjや、愛すべき家族に、特別な思い出を作った親父。
南の島での、忘れられない、思い出だ。


今でも。
親父の目は、鈍っちゃいない。
力こそ親父を越えて、幾年も経つが、あの人の器は、
俺の誇りのひとつだ。

でも、大人になって気が付いた事。
30分40ドルは、きっとボラれてるぞ、親父wwww

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